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大学共通テスト、日本人はまだ知らない「国語・記述式」の根本的問題

センター試験より「劣化」する
原田 広幸 プロフィール

「型通りの答案」を要求する作問ばかり

学力テストを専門に研究する「テスト理論」では、「識別力」(discrimination)という概念がある。

識別力とは、試験問題が受験生の能力を適切に測ることができるかという指標のことだが、この識別力の観点からも、共通テストの国語問題は失格だ。

 

まず、記述式問題は、日本語の表現力を測るものとして導入されたはずであるが、型通りの答案を要求する作問になってしまっているからだ。

これは、折から指摘されていた採点の問題に関連する。採点作業の負担軽減、および採点の公平性・客観性確保のために、解答する際の条件や限定が多くなっている。その結果、場面設定が非現実的で、過剰に誘導的な設問が目立つ。

こういったさまざまな制約が存在すると、表現力を見ようとしていたその目的から大きく外れた定型的な答案しか出てこなくなってしまうだろう。つまり、表現力を見ようとする試験なのに、表現力の乏しい解答ばかりがまかり通るようになる。

受験生は、賢い受験生であればあるほど、確実な得点を目指して解答を作成する。したがって、設問の誘導に乗って、なるべく形式に沿った無難な解答を書くことが合理的な試験の作法になるだろう。予備校や塾の講師も、そのような対策を指導するはずだ。

日本語の豊かな表現力は、形式主義とは相容れない。表現力・記述力を測る目的で開発されたはずの新テストの問題は、かくして、極めて形式的でつまらない日本語を量産することになる。

また、生徒会での会議の話題などの、受験生の思想信条や政治的関心の違いによって、解答のポイントがずれてしまうような設問があり、大いに問題だと感じる。解答として、何を求められているのかわからない出題も多い。

受験生によっては、自分の思想や経験の差が点数に反映されないか心配になり、敢えて「無難で当たり障りのない解答」を答える、という行動に促されるものも出てくるだろう。

実際に、大学の小論文試験では、自分の思想信条や経験を、予想される「望ましい模範解答」に合わせて書く練習を積んだ受験生が量産されている(記事『大学入試の指導者が感じる「小論文攻略法」への懸念』参照)。一つの大学での小論文試験なら被害は少ないが、全国の受験生が共通に受ける国語のテストとなると、害悪はさらに大きくなる。