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大学共通テスト、日本人はまだ知らない「国語・記述式」の根本的問題

センター試験より「劣化」する
原田 広幸 プロフィール

拷問のように「退屈」な問題

プレテストの事後アンケートでは、8割に上るテスト受検者が問題の量が多かったと答えている。

私自身も問題を解いてみたが、途中でうんざりしてくる退屈さだ。ひょっとすると、途中で問題を解くのと放棄した受検者も多いのではないか。

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センター試験などの国語の問題を解く時には、すくなくとも、課題文を読む楽しみがある。センター試験の小説の問題を読んで、泣けてくることすらあるのは私だけかもしれないが、とにかく、国語の問題には、著名のある作家・文筆家による課題文を読み解くという、科目自体の楽しさが必ずあった。

しかし、駐車場の契約書や、生徒会でのディスカッションを模した会話文の資料などを「読み解く」共通テストの問題は、私にとっては拷問と思えるほど退屈な代物に思えたのである。

 

TOEICや英検の問題を、日本語で解いているようなもの、これが私の率直な印象である。あるいは、就職試験などに出てくるSPIのような試験内容だ。

このテストでみようとしているのは、表現力や思考力はおろか、従来の読解力でもなく、単なる情報処理能力を見ているのではないかそのように思わせる「資料」課題に、心理的な疲労感を大いに味わうことになった。

それでも、勉強なんだから、すこしぐらい我慢すべきだという反論もあるだろう。思考力を高めるのに効果があるなら、ある程度の退屈さは甘受すべきだ、と。しかし、その「効果」とやらも期待できないかもしれない。