「ザ・シンプソンズ」のテーマソングとロシアオペラの意外な共通点!

オペラ作品を様々な視点から鑑賞しよう
許 光俊, フランソワ・デュボワ プロフィール

同様に、テノールが歌う抒情的な歌もありませんでした。要するに、美男美女が出てきません。男女の恋愛という、オペラにとって不可欠と考えられていた要素が完全に抜け落ちているのです。

 

また、舞踏会のような、目にも鮮やかなシーンもありません(逆に言えば、チャイコフスキーはそのあたりを抜け目なく考えてオペラを作ったということですが)。色にたとえるなら、黒、茶、灰色など暗い色ばかりのようです。

こんな常識外れのオペラを仮に上演できたとしても、間違いなく失敗に終わったことでしょう。当時、オペラハウスを訪れる客は、偉大な芸術作品を勉強するという気持ちなど持っておらず、あくまで一晩の娯楽を求めていたのですから。

ムソルグスキーが貫いた「ロシアらしさ」

楽譜を突き返されたムソルグスキーは、友人・知人の意見を取り入れ、大きな修正を加えました。広く受け入れられるよう、常識的なオペラの姿に近づけようとしたのです。ようやく全曲初演にこぎつけたのは、最初に完成させてから5年後、1874年のことでした。

とはいえ、ムソルグスキーはあまりにも独特で、時代の常識を超えた作曲家でした。彼が生きていた時代、音楽の中心はドイツでした。だから、チャイコフスキーをはじめとするロシアの作曲家たちの多くは、ドイツ流の音楽を学び、そのような仕立て方で音楽を書こうとしました。

なるほど、ロシアらしい旋律やリズム、また民謡の引用などはあるにしても、あくまで大枠はドイツ風であろうとしたのです。また、そのようにして作られた音楽は、ドイツや西ヨーロッパ諸国においても受け入れられやすかったのです。

ところが、ムソルグスキーはそのようなやり方をよしとしませんでした。もっともっと、本質においてロシア的でなければならないと考えたのです。よく知られているように、当時のロシアでは、社会階層の上にいる人々は、フランス語で会話するのを好みました。そんな状況の中で筋書きも音楽も荒々しいロシア風のオペラを作っても、田舎臭く、洗練が足りないと思われて当然でした。

ムソルグスキーの個性や方法は、ドイツやフランスの芸術に慣れた人にとっては、野蛮で稚拙と見なされました。とはいえ、捨てるには惜しいことも明らかでした。だから、ムソルグスキーが死んだあとで、ニコライ・リムスキー = コルサコフ(1844―1908)のような、常識的な意味でもっと上手な作曲家が楽譜に手を入れました。暗い響き、素朴だが力強い響きは、華麗ではではでしいものに変わりました。

が、本来、ムソルグスキーが書いたのは絹ではなく麻布のような感触で原始的な力が勝った音楽でした。近年では、ムソルグスキーが書いた楽譜、それも最初の版で上演されることが増えました。