回復した京アニ放火容疑者は、なぜ「優しさ」についてまず語ったのか

凶行から垣間見える「やさしさの偏在」
御田寺 圭 プロフィール

片足を失いたい男

ずっと以前に、匿名掲示板「2ch」に立ったあるスレッドのことを思い出した。

【事故に見える片足の切断方法】
https://hayabusa.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1340291019/(2012年6月22日)

そのスレッドの主は「仕事がつらくて明日会社に行きたくない。車に轢かれるか、電車に撥ねられるかなどして足を失くしたら仕事を辞められるかな? 他人に迷惑をかけず、不幸な事故として足を失う方法はなにかほかにないか?」と、冗談ではなく本気のトーンで相談したいと考えてスレッドを立てたようだった。

当然、スレッドの人びとは困惑の色を隠せなかったようだ。言うまでもなく、片足を失う必要性などどこにもないからだ。さっさと退職届を出せばそれで終わる話だ。だが彼はあくまで「不慮の事故によって働けなくなった」という事実があることにこだわっているようだった。

いまなら彼がそう訴えた理由がよくわかるように思えた。

 

仕事がつらすぎて、現実が苦しすぎて、なんとかそこから脱したいと願う男は、しかし「落伍者」として蔑まれるのも回避したかった。そこで、実社会から「かわいそうだ」と思ってもらうために「名誉の勇退」という物語のもとで社会から去りたいと考えたのだ。

彼は片足を失うことで「無能な落伍者」ではなくて「不慮の事故で片足を失い、惜しまれつつも社会から退場した」という物語のなかで生きることを欲したのだった。片足を失ってでも「名誉の勇退」に彼がこだわったのは、「無能な落伍者」となればけっして与えられることのない、他人からの「やさしさ」あるいは「やさしいまなざし」が欲しかったからだ。

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私たちは「やさしくしなければならない対象」に対してはやさしいが、そうでない対象にはとことんまで冷たい。

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