中野裕明司教提供

今回来日する法王フランシスコ、前回ヨハネ・パウロ2世とどう違う?

ヨハネ・パウロ2世は暗殺者に襲われた

フランシスコ法王が、11月23日から4日間の日程で来日する。歴史的にみれば、フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えて470年の長きにわたる。
「フランシスコ・ザビエル」の洗礼名を持っている中野裕明司教を鹿児島に訪ねた。中野司教は、キリスト教が伝来した鹿児島司教区(信者8000人)の教区長である。

法王が日本を訪れるのは、1981年のヨハネ・パウロ2世以来38年ぶりで、2人目となる。当時は、日本中が法皇来日でわき返った。中野司教に、今回のフランシスコ法王の日本訪問の意味、そして38年前のヨハネ・パウロ2世の来日の舞台裏を尋ねた。(注:編集部は先日まで日本政府が用いている「法王」という呼称を使用するが、中野司教はカトリック信者が使う「教皇」で呼んでいる)

 

日本に関わる3人の「フランシスコ」

編集部 現在の教皇は「フランシスコ」ですが、ザビエルも、「フランシスコ」そして、中野司教も「フランシスコ」ですが、いわれが違うのですか?

中野司教 カトリック教会の伝統で、教皇に選ばれた人は即座に教皇名(法王)を選ぶことになっています。現教皇はホルヘ・マリオ・ベルゴリオという名前でしたが、教皇名として、フランシスコ、を選んだということです。

選択の根拠として、カトリック教会によって聖人とされている人の名前が選ばれます。ところで、フランシスコの名前を持つ聖人はたくさんいるのですが、現教皇が選んだのは、アシジの聖フランシスコ(1182~1226)でした。

一方、日本で有名なのは、聖フランシスコ・ザビエル(1506~1552)です。彼は1549年に鹿児島に上陸してキリスト教を初めて日本に伝えました。

さらに、フランシスコ・ザビエルはイエズス会という名の修道会(日本では、現在上智大学や4つの高等学校の経営母体)の創立者の一人なのですが、教皇フランシスコはこのイエズス会の会員でした。その意味で、フランシスコという名前のおかげで教皇と鹿児島は御縁があるといえます。

編集部 中野司教の略歴を簡単に教えてください。

鹿児島カテドラル・ザビエル教会

中野司教 1951年、鹿児島生まれ。この教会、フランシスコ・ザビエル教会(鹿児島市)で洗礼を受けまして洗礼名も、フランシスコ・ザビエルです。当時のザビエル教会の神父様は、洗礼を授けるとき男子には概ねフランシスコ・ザビエルの洗礼名をつけていました。

中学校から、長崎の神父を目指すため全寮制の小神学校に行きました。その後は、福岡のサン・スルピス神学院と言う司祭養成所で勉強して、1978年に司祭になりました。

それで、1981年に、ヨハネ・パウロ2世が初来日した際には、私は東京に派遣されて実行委員会で働きました。

編集部 ヨハネ・パウロ2世は日本へ初めてきた法王ですね。

中野司教 はい、教皇の旅行に随伴するマスコミ関係の人々のお世話をしました。教皇の海外訪問時は、飛行機の後部座席に同伴取材記者を募集します。当時は50人でした。
編集部 海外のメディアを中心としたマスコミツアーですね。

中野司教 具合的にいえば、同伴取材記者たちは、飛行機のタラップを降りられる教皇の取材から仕事が始まるので、彼らの入管手続等を代わりにやるわけです。与かった彼らのパスポートや荷物を宿泊ホテルに運び入れたりしました。

1978年に法王に就任したヨハネ・パウロ2世は、ポーランド出身。455年ぶりの非イタリア系法王で、初のスラブ系法王共産党下のポーランドの民主化活動を支えたと言われる。世界中の各国を訪問したため「空飛ぶ法王」と称された。

編集部 フランシスコ教皇は今回バンコクから日本に来ますが、その当時はどういう日程で来たのですか。

中野司教 マニラ経由でいらっしゃいました。羽田空港の22番スポットに着かれました。当日は雨天で傘が必要でした。当時の記録から日本での4日間の行事を拾うと次のようになります。

2月23日 午後3時50分「聖職者の集い」、午後4時40分「信徒代表の集い」、午後7時「司教団の集い」

2月24日 午前8時30分「エクメニカルの集い」、午前9時30分「諸宗教代表者の集い」、午前11時「天皇陛下と会見」、午後2時「鈴木善幸首相と会談」、午後3時15分「教皇ミサ」、午後5時15分「ヤング&ポープ大集会」午後7時30分「在京外交団の集い」

ヨハネ・パウロ2世(左)と昭和天皇(提供=カトリック中央協議会)

2月25日 午前7日20分「上智大学訪問」、午前10時30分「広島市主催のローマ法王歓迎の集い」、午後0時30分、「広島市公会堂で技術・社会・そして平和」の特別講演、午後6時30分、「浦上天主堂での司祭叙階式ミサ」

2月26日午前8時「修道女の集い」、午前9時30分「教皇歓迎集会、教皇ミサ」、午後4時「大浦天主堂訪問」、午後4時35分「聖母の騎士修道院訪問」、午後6時30分「恵みの丘長崎原爆ドーム訪問」、午後9時「長崎カトリックセンターで離日の挨拶」、午後10時「長崎空港から離日」。

まさに分刻みのハードスケジュールでした。しかも長崎空港からの離日が、午後10時、気温が零下10度の極寒でした。普通の国家元首なら、もっと明るい時間を設定するのではないでしょうか。

私は、その時実行委員会のメンバーとして、教皇をタラップの手前で、握手をしてお別れのあいさつを交わしました。その時の感動は今でも忘れません。