地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。
"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。
1960年のこの日、狭軌鉄道の世界最高速度が、東海道本線の藤枝〜島田(現在の六合駅付近)で達成されました。
当時の国鉄では、東海道新幹線の開業を目指した試験運転を重ねていました。静岡県の藤枝市には、新幹線で採用が予定された架線(電車線)やコンクリート枕木を使った線路(軌道)を使った、1.3kmあまりの専用実験線を敷設していました。
高速試験には、“クモヤ93”型と呼ばれる架線試験車が使用されました。架線試験車とは、走行しながら架線の高さ、偏位(かたより)、離線の有無、支障物の検知などを行う検測専用の車両で、同車は日本で初の架線試験車でした。
昭和33年アジア鉄道首脳者懇親会の際に撮影されたモヤ4700形架線試験車。
— 公益財団法人交通文化振興財団 (@kotubunka) February 8, 2018
翌年にはクモヤ93に改番し、昭和35年には狭軌世界最高速度の時速175km(当時)を記録しました。 pic.twitter.com/VEPcqZACfK
同車には、高速走行のまま検測できる各種測定機器のほか、風速計や工業用の記録テレビカメラなど、当時の最新鋭の機器を搭載していました。車体は測定のために全体の高さを低く抑えつつ、検測用の観測室は架線の状態が観察しやすいように一段高くなっています。駆動装置に関しても、高速に対応した新型の台車(DT-29型台車)や大出力モーターを採用するなど、日本の鉄道技術の粋を集めた画期的な車両でした。
この日の高速走行の目的は、新幹線で採用予定のパンタグラフの試験でしたが、同時に狭軌鉄道の世界最高速度である時速175kmを記録したのです。こうして、新幹線で用いる線路や架線の構造を決める基礎データが収集され、後の開業に大きく近づくことになったのです。

残念ながら、架線試験車“クモヤ93”型は1980年代に引退し、保存されずに解体されてしまったため、今では見ることができません。
ただし、この記録達成地点に近い六合駅付近にはモニュメントが建ち、専用実験線は東海道本線の上り線に転用されているため、実際に乗ってみることができます。
なお、この記録は後に更新されました。南アフリカで時速245km、日本でも湖西線で時速179kmをわずかに越える速度が出たということです。