いよいよ「無謀さ」が明らかに…大学入試改革に潜む「重大な脅威」

結局、何が入試制度の「正解」なのか
中屋敷 均 プロフィール

こういった方針は、私も観念としては理解できる。しかし、である。やっている側の実感から言えば、とても良い選抜方法と思えない。入試でも人事でもそうだが、元来、人間が人間を評価するというのは難しいものである。

 

例えば、比較するのもおこがましいという気持ちにはなるが、エンジェルスの大谷翔平選手と私を「多様な方法で公正に評価し選抜」したらどうなるだろうか? 大雑把に言えば、ほぼ比較の対象にならず、大谷選手が選抜されることになるだろう。特に若い女性にジャッジしてもらえば、100対0の結果だろう。

しかし、もし「安南ばか詰」という、その名の通りちょっとバカげた詰将棋の愛好家が試験官になれば、もしかしたら私が選抜されることになるかも知れない。私は昔、安南ばか詰を作っていた経験があり、大谷選手相手でもたぶん負けない。

「野球の方がメジャーだし、人気があるでしょ」という人がいれば、「野球トップの大リーガーだって世界には数百人はいます。安南ばか詰を作れる人は、世界でせいぜい数十人しかいない。貴重な人材です」という人がいるかも知れない。さて、野球と安南ばか詰と、一体、どう「公正に」評価すればいいのだろう?

面接やプレゼンの「問題点」

ちょっと極端な話になっているような気もするので、現実的な問題点に戻すなら、一つ目に評価方法である。「確かな学力」の要素とされる主体性・協働性・判断力といったことを、短時間の面接で正確に評価することは大変難しい。こういった項目は、むしろ付き合いの長い高校の先生からの内申書の方が信頼できる評価であろう。

しかし、高校の内申書は学校によって点数をつける方針が異なっており、また高校自体のレベルという問題もある。県内で一番の進学校と、学力の観点からは平均以下の高校からの受験生の内申書を、数字だけで単純に順位付けして良いのか、現実的にはかなり問題である。実際、こういったことから、現状では高校の内申書は参考程度にしか使われていないケースが多いのではないかと思う。

大学で行われる面接試験もあるが、大学教員は企業の人事担当者等とは違って、面接による人物評価の経験が豊富な人ばかりではない。どちらかと言えば、160km/hのボールを投げるより、安南ばか詰を作る方が得意そうな人も多く、若い女性から悲鳴が上がりそうな選択をしてしまう可能性も否定できない。

目の前で面接に答えている高校生はみな一生懸命であり、何を基準に判断をすればよいのか、その評価は結局の所、〝印象〟以上の根拠がない曖昧なものである。入試という公正さ公平さが求められる仕組みに耐えるものになっているのか、個人的には甚だ疑問に思っている。

本人以外の「手助け」を防げるのか?

面接よりも、受験者の能力を測りやすいものに何かのプレゼンをさせるという方法もあり、多くの大学のAO入試でも取り入れられている。こちらの方は内容に巧拙や優劣があり、主体性、思考力、表現力のようなものを、ある程度、判断するための材料となる。

しかし、このプレゼンは曲者である

というのも、プレゼンは事前に準備したものを発表するため、準備の過程でどれだけ他人の関与があったのか分かりにくいという深刻な問題があるのだ。

家族であったり、教師であったり、場合にはよっては大学の研究者などが関与していることもあり、当然、プレゼンの質はそれにより大きく左右される。こういった方式がより一般的になった場合には、業者の介入もあり得るだろう。