スピッツはなぜ「誰からも愛される」のか〜「分裂と絶望」の表現者

ポップ・ミュージックの極北で
伏見 瞬 プロフィール

スピッツの名を世に知らしめたヒット曲に1995年の『ロビンソン』がある。冒頭の悲しげなギターのアルペジオ(和音を同時にではなく順番に鳴らす奏法)が強い印象を残すこの曲では、「誰も触れない二人だけの国」という、恋愛関係の頂点に昇りつめたかのような言葉が歌われる。

草野マサムネの伸びる高音によって、コーラスに入ると同時に「だ」の「a」の母音が広がったときの開放感はすごい。しかし、昇天するような解放が表現された瞬間に、その背後で鳴る和音はF#mの悲しみへと向かい始める(F#mは「マイナーコード」であり、これは一般的に悲しみや暗さを表現しやすい)。悲しみと喜びが楽曲の中で分裂しているのだ。

考えてみれば、コーラスの手前には「ありふれたこの魔法」という、〈平凡(=ありふれた)〉と〈非凡(=魔法)〉に引き裂かれた表現が登場するし、冒頭部の「新しい季節」からはじまる一節は、〈新しい〉にもかかわらず「君を追いかけた」と〈過去形〉で終止する。かくのごとく、『ロビンソン』にはいくつもの「分裂」が織り込まれている。

 

「ポップ」とは何か

こうした「分裂」性はスピッツだけに見られるものではない。1960年に全米1位を記録した『Will You Love Me Tomorrow』という曲がある。後にシンガーソングライターとして名を成すキャロル・キングが作曲し、シュレルズという女性ボーカルグループが歌った楽曲だ。

軽快なドラムビートと甘いメロディとは対照的に、「今日はあなたはわたしのものだけど、明日もまだ愛してくれているの?」という未来への不安を歌っている。曲の中で楽観的な曲調と悲観的な言葉が分裂しており、同時に歌の上での主人公は「幸せだけど不安」という分裂した感情の中にいるのだ。