芸能界を去って20年、上岡龍太郎の「見事な生き方」に学ぶ

「ボクの芸が通用するのは20世紀まで」
週刊現代 プロフィール

仕事に真摯であればこそ

ときには番組スタッフとの衝突もいとわなかった。有名なのが、『ナイトスクープ』の収録中に、企画内容に激怒し、スタジオから退席したことだ。

大学生の下宿先で心霊現象が起こるというので、現場を取材するという内容だったが、オカルト的なものを忌み嫌っていた上岡さんは、「面白がって『心霊現象はある』とテレビが言う、その責任と影響力について考えたことはあるのか」と担当ディレクターに激怒。そのまま収録現場から去ってしまったのだ。

 

「上岡さんの番組には、常にそういう緊張感があった。いまでも上岡さんのファンが多い理由のひとつは、こんなに真剣に番組と視聴者に向き合う人が少なくなったからでしょう」(影山氏)

その勢いは関西圏にとどまらず、'80年代後半には東京に進出。『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』『上岡龍太郎がズバリ!』など名前を冠した番組を何本も抱え、全国区でもその人気を確立する。

「当時の東京のテレビ業界にはあまりいなかったタイプの、厳しさと怖さをもった方でした。

一方で、自分の持っている話芸やテクニックについては隠すことなく教えてくれる。上岡さんとの日々は、勉強の日々。私は『上岡学校』の生徒の一人を自負しています」

こう話すのはTBSのゴールデン番組『上岡龍太郎がズバリ!』で共演したフリーアナウンサーの梶原しげる氏だ。

関西人気ナンバーワンの司会者と東京で番組をやることになったと聞いたときは嬉しさの反面、「下手に近づいたら切れ味鋭い視線と毒舌で、抹殺されるんじゃないか」と怯えた、と明かす。

「新番組の宣伝用のポスターを撮影したときのことです。カメラマンさんが『上岡さん、笑ってください!』とリクエストを出したら、『なんで面白くもないのに、笑わんとあかんねん』と真顔で返されて、その場に緊張が走ったことを思い出します。

番組でも、少しでも理にかなわないことがあったり、スタッフが本気を出していないとわかると、そこを見抜いて叱責されていました。その厳しさはいままで味わったことのないものでした」