先日放送された大人気テレビ番組『とんねるずのスポーツ王は俺だ!!』(テレビ朝日)で、石橋貴明氏率いる‟チーム石橋”との野球対決で熱戦を繰り広げた松井秀喜氏。番組では高校3年生当時の貴重な甲子園映像も映し出され、懐かしさを感じた人も多いのではないだろうか。

そこで今回は、現役当時と変わらぬ力強いスイングで番組を沸かせた松井氏の「初甲子園エピソード」を、幼少期から読売ジャイアンツに入団するまでの道のりが綴られた講談社文庫ひでさん〈松井秀喜ができたわけ〉』より抜粋掲載し紹介しようと思う。

小学校の卒業文集に書くほど、長年の夢であった「甲子園」。そこでの苦い経験を通して監督が伝えたかったこととは? 子育てだけでなくすべての人間関係にも通ずる、父・昌雄氏の「子との向き合い方」から、松井氏が名プレイヤーとなるに至った秘密に迫りたい。


今までの連載はこちら
 

夢にまで見た、念願の「甲子園出場」

1990年(平成2年)の夏、星稜高校は地区大会を勝ち抜き、甲子園大会(全国高等学校野球選手権大会)出場を決めていた。大会7日目の第1試合、西東京代表の日大鶴ヶ丘高校との2回戦。

Photo by iStock

ついにあれほど憧れた甲子園に出る。子供の時に阪神戦を見に行って、初めて観客席に座った。小学生の時は何時も庭で甲子園を思い描いて、ホームランごっこをして遊んだ。今まさにその甲子園のグラウンドに初めて足を踏み入れる。グラウンドに立ってまわりを見渡す。周囲に高い建物がないので、360度観客席と球場の形に切りとられた空しか見えない。

電光掲示板が目に飛び込んできた。
――あーっ。ドカベンの漫画と同じ風景だ。

それが甲子園の第一印象だった。秀喜は兄が買っていたドカベンの漫画を全部読んでいた。特に山田太郎の穏やかな性格が好きだった。

Photo by iStock

午前7時58分。試合開始。秀喜は1年生で4番1塁手。背番号は3。
初めての打席。物凄い緊張が走る。

――足が震えている。自分でわかるほど震えている。

ところがその後、緊張などと言っていられない試合の展開になっていた。第1打席はフォアボールを選んで出塁したものの、次の打席は2塁ゴロ、続く打席もセンターフライにショートフライとノーヒット。7回には逆転を許しあっけなく負けてしまった。3番の選手が2安打し5番の選手が3安打。4番の秀喜が打線を切ってしまったために点につながらなかった。一方の相手チームの4番は2安打2打点と責任を果たした。

――先輩に申し訳ない。自分が情けない。

4番というのは、常にチームを左右する存在だ。ある意味チームの明暗を握っているともいえる。1年生で4番を任された秀喜は頭ではわかっていたことだが、今回甲子園という大舞台でそれを実感する結果となった。