マスクをつけてもインフルエンザ感染を防げない理由

免疫学の第一人者に聞いてみた
宮坂 昌之 プロフィール

うがいは、呼吸の本丸"下気道"を守れるか?

ここで、用語の説明です。気道とは空気の通り道のことで、そのうち、鼻腔から喉頭までを「上気道」、一方、気管、気管支、肺までを「下気道」とよびます。

「かぜ」とは、上気道に炎症が起こった状態です。一方、上気道で炎症が止まらないと、やがて下気道にも炎症が広がっていきます。たとえば、ヒトインフルエンザウイルスは通常上気道の上皮細胞に感染しますが、多くの場合、これは自然免疫、獲得免疫によって排除され、炎症は上気道に限られるのが普通です。

【図】ヒトの呼吸器
  ヒトの呼吸器、上気道と下気道 schema by iStock

しかし、上気道で炎症を抑えられなかったときには、下気道まで炎症が波及して、いわゆる肺炎になります。先に述べたように、ヒトインフルエンザウイルスが感染するための鍵穴を持つ上皮細胞は上気道に多く存在しています。

しかし、2000年前後に世界中で流行った高病原性鳥インフルエンザウイルス(H5N1)の感染では、下気道への直接的な感染が起こり、多くの肺炎患者が出ました。なんと、鳥インフルエンザが持つ鍵に対する鍵穴は、上気道ではなく下気道の上皮細胞に多く存在していたのです。このために、鳥インフルエンザウイルスは、下気道に直接感染して、肺炎を起こしたと考えられています。

では、うがいはどうでしょう?

実は、うがいの効果も諸説紛々です。うがいの有用性を示すとしてよく引用されるのが、日本のGreat Cold Investigatorsと名乗るグループによる研究です。彼らは、387人の健常人を、

  • 一日3回、約20㎖の水道水で15秒間うがいをする
  • 一日3回、約20㎖のうがい用のヨード水で15秒間うがいをする
  • 自分が普段やっているようないつものうがいをする(対照群

という3群に分け、その後、60日にわたってそれぞれの群が上気道感染を起こした率について観察しました。上気道感染とはいわゆる「かぜ症候群」のことで、咳、鼻水、喉の痛み、鼻づまりなどの症状が現れる病気のことです。

この研究では、上気道感染の有無は、主に被験者の自覚症状に基づき、それを一人の医師が確認したとのことです。ただし、明らかな発熱やからだの痛みがありインフルエンザが疑われる患者は、この調査の対象から外しました(実は、これが後で大事な点になります)。

結果は、興味深いものでした。水道水でうがいをした群のみ、対照群と比べて、上気道感染を起こす率が約3割減り、ヨード水でうがいをした群では対照群と有意な差がなかったのです。

本来ならば水道水より消毒効果が強いヨード液で期待する効果がなかったということについては、一つの可能性として、ヨード水が口腔内の常在菌まで殺してしまったからかもしれないとこの研究グループは解釈しています(後で述べるように、口、腸、皮膚などにいる常在菌はからだの抵抗力を高める働きがあるので、あまり強い消毒はかえってよくない可能性があります)。

いずれにせよ、この結果は、もしかして、うがいをきちんとすれば、風邪の予防に有効かもしれない、と思わせるものです。

実際、このデータはいろいろなところで引用され、日本呼吸器学会が風邪予防策としてうがいを勧めている根拠にもなっています。ところが、話はどうもそうは簡単ではないようです。というのは、なんと先に述べた同じグループの研究によって、つじつまがよく合わないことがわかってきたからです。

それは、同じ研究グループが、今度は上気道感染ではなく、インフルエンザ様疾患のみに絞って、同じデータを用いて解析してみたのです。この場合、インフルエンザ様疾患とは、明らかな発熱とからだの痛みをともなう上気道感染のことです(軽いかぜ症候群は含みません)。すると、インフルエンザ様症状を示す疾患のみに対象を絞った場合には、水道水でうがいをしても、ヨード水でうがいをしても、その発症率には有意な差は見られなかったのです。

これらの報告を額面通り読むと、うがいは、鼻風邪のような軽いものであれば予防効果があるが、インフルエンザ様疾患のようなより重い感染では予防効果はない、ということになりますが、そんなことがあるでしょうか。これはどう考えても不思議ですよね。これが、私が最初に「うがいの効果については諸説紛々」と書いた理由です。

そもそも、通常のうがいでは、うがい液は口腔内と喉の一部分にしか届かず、鼻粘膜、上気道の大部分や下気道にはまったくといっていいほど届きません。したがって、ウイルスを除去する効果には限りがあります。

また、同じようなことですが、よく開業医にかぜの診察で行くと、ヨード液を含む殺菌液を喉に塗ってくれることがあります。しかし、殺菌液が効果を示すのは気道のほんの一部分だけで、しかも細胞の中に入ってしまったウイルスには殺菌液は届きません。したがって、これも「おまじない」的な要素が強い、といっていいでしょう。

【写真】お医者さんの殺菌剤もおまじない?!
  お医者さんが塗ってくれるヨード系の殺菌剤もおまじない?! photo by iStock

これに対して、手洗いはどうでしょうか。

"手洗い"の効果も限定的

ロンドンの研究者の報告によると、手洗いは、気道感染のリスクを2割程度下げるそうです。わずか2割程度しか下がらないのか、と思う方がおられると思います。私もこの論文を読んでそう思いました。

でも、手洗いというのはおそらく、単独ではこのぐらいの効果のものなのだと思います。実際のところは「やらないよりやったほうがいいが、手洗いだけやっても他に病原体が侵入してくる道筋を絶たない限り感染は防げない」ということでしょう。

【写真】手洗いも、やらないよりはよい程度
  やらないよりはよいみたいだけれど…… photo by iStock

そんなことから、前述のWHOのウイルス拡散予防のための資料でも、手あらいをする、アルコールなどの殺菌剤で消毒をする、部屋の温度や湿度を上げる、マスクをする、感染に対する教育をする、感染者には近づかない、ワクチン接種を受ける、など、いくつもの対策を立てることが必要であると書かれています。

これに加えて、日本のマスコミは、感染したかなと思ったら医療機関を受診するように、と勧めています。しかし、私の目から見ると、これは大いに問題です。