大嘗祭「天皇の資格」をもたらす「謎の秘儀」で何が行われるのか

皇室最大の儀式の内幕
稲田 智宏 プロフィール

左右対称、二つの正殿の意味

さて、皇位にとって非常に大切な大嘗祭ではあるとはいえ、天武天皇以降の皇室が常に盤石だったわけではないため、膨大な費用を必要とする大嘗祭どころか、毎年の新嘗祭も行われない時期はあった。

大嘗祭に関してのみ言うなら、南朝側の天皇や、応仁の乱後の10人の天皇はこれを行えていない。それが安定して復活したのは江戸時代中期の桜町天皇(第115代、1735-47年在位)からである。

 

大嘗祭の祭日はかつての新嘗祭と同じで、11月の下卯(しものう)の日となる。新暦が採用された明治以降も大嘗祭の場合は、もちろん諸事情による例外も見られるが基本的には古制に倣っており、たとえば平成の御代は2年の11月22日(辛卯[かのとう]の日)に行われ、令和の大嘗祭もこの11月14日は乙卯(きのとう)の日でやはり11月の二度目の卯の日にあたる。

祭儀の内容については、古制から変化は見られるが、その詳細をここに述べる余裕はないため、おおまかに中心となる祭儀の流れや特色のみを示しておこう。

まず目を引くのは大嘗祭のためだけに設営される大嘗宮である。神嘉殿(しんかでん)という常設の殿舎で行われる新嘗祭との違いが顕著なのは、大嘗祭においては祭られる神々を、より丁重に格式高くお迎えするという意識からだと思われる。ただ、主要な殿舎の屋根が今回は費用と時間のかかる茅葺きでなく、板葺きとされている。

そしてまた目に止まるのは、大嘗宮内にはほとんど左右対照に、東西に同一の殿舎が建てられていることだろう。主要な神事が行われる正殿を、東は悠紀殿(ゆきでん)、西は主基殿(すきでん)といい、両殿ともに内陣には枕や衾(ふすま、寝具の布)などを備えた八重畳(第一の神座[しんざ])が中央に置かれ、その脇に天皇が着座される御座と神座(第二の神座)がある。この不思議な寝具様の神座については、あとでまた取り上げることにしよう。

令和の大嘗宮の模型。東西二つの正殿がある(宮内庁資料より)