大嘗祭「天皇の資格」をもたらす「謎の秘儀」で何が行われるのか

皇室最大の儀式の内幕
稲田 智宏 プロフィール

天照大神が執り行った「収穫祭」

大嘗祭が天皇即位最初のときのみ新嘗祭から区別されるようになったのは、1300年以上前からである。『日本書紀』では天武天皇(第40代、673-686年在位)の2年に「大嘗」、そして同5年と6年には「新嘗」と書き分けられ、この時期に特別な新嘗祭としての大嘗祭が確立したのではないかとも考えられている。

天武天皇の記事より以前にも、新嘗や大嘗の語は『古事記』や『日本書紀』に確認できる。

 

最初にこれらの名称が見えるのは、高天原に昇ってきた素戔嗚尊(スサノオノミコト)が乱暴狼藉を働き、そのために天照大神が天石窟(あめのいわと)に籠もってしまうという、よく知られた話だ。

すなわち『古事記』によると素戔嗚尊は天照大神の田を破壊し、さらにはその稲を用いての「大嘗を聞看す殿」を穢してしまう。また『日本書紀』でも天照大神の耕作を妨害し、その「新嘗しめす時」に同様のことを行ったという。

この場面は素戔嗚尊がとてつもない禁忌を破る流れにあって、つまりは高天原という神々の世界で、至高の天照大神が執り行うほどの大事な祭が、この新嘗(大嘗)の祭であることを示している。

そして『日本書紀』の異伝には、地上統治のため降臨させる神々に「齋庭の穂(ゆにわのいなほ)」という神聖な稲穂を天照大神が授ける場面がある。上記のように天照大神は高天原に聖なる稲田を所有しているわけで、そこで育てられた稲が地上にもたらされたということになるだろう。

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もちろんこれらは神話のなかでの話だが、このような神話が伝えられるということは、それだけ日本人の稲に寄せる思いが深いことを表している。主要な食物である稲はまさに自分たちの命の元というべき、神聖な穀物と見なされていた。だからこそ、その収穫祭はとりわけ大事な祭祀であり、大事な祭祀ゆえに新嘗祭は天皇の地位に関わるほどの重要な大嘗祭ともなったのである。