日本の学校は地獄か…神戸「教員いじめ事件」の残酷すぎる支配構造

だからいじめはなくならない
内藤 朝雄 プロフィール

なぜいじめが起こるのか

この事件を、マス・メディアは集中的に報道した。テレビでは、「立派で尊敬すべきはずの先生がこんなことをしている。あきれた。ゆるせない」という感情のストーリーをあおる報道が目立った。

ここで起きていることの大筋は、本稿のはじめの部分で述べた。上記報道による紹介を読んだあとで、もう一度、はじめの部分の論述に目を通していただきたい。

一言でいえば次のようになる。

(1)学校と教育が特別扱いされる現行制度に支えられた構造的な閉鎖空間のなかで、(2)嗜虐的攻撃(いじめ)の筋書を用いた遊びによる悪ふざけのお祭り騒ぎと、(3)利害権力政治が、(4)不可分に結合し渾然一体となることで、(5)大きな市民社会のなかで「何があたりまえであるか」の別領域となった祭政一致の小さな社会が生じた。

 

以下、今回の事例を検討しながら、この「祭」と「政」の詳細を分析する。

加害教員が行った嗜虐的迫害の内容は驚くほど多彩である。一見すると一つ一つがバラバラでまとまりがなく、理解しがたく感じられるかもしれない。しかし、そのほとんどは、以下で説明する全能筋書〈遊びたわむれる神とその玩具〉によって組み立てられていると考えれば、一貫した論理のもとで理解可能になる。

戦略的攻撃と嗜虐的攻撃は、結合していることが多いが、それ自体、別のものである。

たとえば、ピストルを突きつけて脅した後に口封じのために撃ち殺して金を奪うといった行動は、通常、「金を手に入れるためにピストルで脅し、口封じのために射殺する」といった戦略的攻撃の側面と、「ピストルをつきつけられた被害者がブルブルふるえて失禁するさまを見てゲラゲラ笑う」といった嗜虐的攻撃の側面が結合している。

嗜虐的攻撃は、独特の欲望のひな型を満たすことをめざす攻撃である。この欲望のひな型は、全能を享受することに向けられた筋書の一種である。説明しよう(以下引用箇所では嗜虐的攻撃を「いじめ」と表記している)。

【他者コントロールの欲望のひな型】

他者をコントロールする全能というものについて、掘り下げて考えてみよう。

たとえば、コップを壁にたたきつけて粉々に砕いても、そこには他者コントロールの手応えはない。

それに対して他者は、自己とは別の意志を有しており、独自の世界を生きている他者である。

だからこそ、いじめ加害者は、他者の運命あるいは人間存在そのものを深部から、自己の手のうちで思いどおりにコントロールすることによって、全能のパワーを求める。思い通りにならないはずの他者を、だからこそ、思い通りにするのである。

これを、他者コントロールによる全能と呼ぼう。

他者コントロールによる全能には、さまざまなタイプがある。いじめによるものは、そのうちのひとつだ(『いじめの構造――なぜ人が怪物になるのか』74~76ページ)。

それでは、嗜虐的攻撃(いじめ)の欲望のひな型は、どのようなものか。

【嗜虐的攻撃(いじめ)の欲望のひな型】

いじめの加害者は、いじめの対象にも、喜びや悲しみがあり、彼(彼女)自身の世界を生きているのだ、ということを承知しているからこそ、その他者の存在をまるごと踏みにじり抹殺しようとする。

いじめ加害者は、自己の手によって思いのままに壊されていく被害者の悲痛のなかから、おもいどおりにならないはずの他者を、だからこそ、思いどおりにする全能を生きようとする。

このような欲望のひな型を、加害者は前もって有しており、それが殴られて顔をゆがめるといった被害者の悲痛によって、現実化される。これがいじめの全能筋書である(『いじめの構造――なぜ人が怪物になるのか』77~78ページ)。

【嗜虐的攻撃(いじめ)の全能筋書のレパートリー】

嗜虐的攻撃の全能筋書は、具体的な迫害行為の場面で、さまざまなかたちをとる。これらはすべて、もともとあった他の筋書が、嗜虐的攻撃の全能筋書に転用(流用)されたものである。代表的なものは、次の三形態のレパートリーである。

(1)〈破壊神と崩れ落ちる生け贄〉: 加害者が力を加えると、被害者は、その爆発的な勢いによって瞬時に崩れ落ちる。子どもが積み木を一気に崩すときのような筋書の転用(流用)。

(2)〈主人と奴婢〉: 命令―使役の筋書の転用(流用)。

(3)〈遊びたわむれる神とその玩具〉あるいは〈遊ぶ神〉: 悪ふざけによって、通常の世界の条理を、条理が条理であるからこそ「ありえない」やりかたで変形させることは、世界そのものを自在につくりかえているかのような全能筋書となる。全能は、笑い転げるというしかたで享受される。遊びたわむれる神は笑いながら世界を破壊しつつ創造する。

つまり、あらたな接続線を引いて世界の別次元の脈絡をありえないようなやりかたで強引に結びつけ、思いのままに条理そのものを一気に破壊しつつ再創造する。そして、その思いもよらぬ形態変化の愉快なかたちに笑い転げるのである。

この論理は抽象的に考えればムズカシそうであるが、具体例を挙げれば、わかりやすい。たとえば通常は口から吸うたばこを肛門にさして、肛門から吸うしぐさをし、これをホタル(尻が光る昆虫)と命名する(学生の体験談より)。こういうものである。