緒方貞子とは何者だったのか? 激動の世界を生き抜いた逞しさと信念

数々の歴史的決断、人道主義の信念…
篠田 英朗 プロフィール

緒方氏の苦悩

国連高等難民弁務官に就任した直後の時期の劇的な判断によって、緒方氏は、国際的な名声を確立し、国際人道援助におけるUNHCRの役割は決定的なものとなった。しかしその後のUNHCRの活動は、それほど手放しで称賛されているわけではない。

1994年4月に始まったルワンダ大虐殺は、ルワンダ国内では反政府勢力であった現在も大統領を務めるポール・カガメが率いるルワンダ愛国戦線(RPF)が、7月に首都キガリを陥落させたときに終わった。

代わりに、旧政権側に近かった人々を中心に、100万人以上もの難民が周辺諸国に流出した。UNHCRは、やはり欧米諸国を中心とした諸国の輸送支援の協力を得ながら、ルワンダ難民支援においても主導的な役割を担った。

〔PHOTO〕gettyimages
 

しかし当時のルワンダ難民キャンプは、大虐殺の実行者たちを含む旧政権側の人々によって牛耳られており、暴力が蔓延していた。

カガメのルワンダ政府は、難民キャンプが軍事基地化していると批判を続けていた。支援はさらなる害悪をもたらしていると考えた「国境なき医師団(MSF)」のような欧米系の大手NGOは、次々とルワンダ難民支援から撤退していった。

しかしUNHCRは、苦悩しながらも、撤退は人道主義に反する、として、踏みとどまり続けた。最終的に難民キャンプの問題を消し去ったのは、業を煮やしたルワンダ政府の軍事介入だった。

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