緒方貞子とは何者だったのか? 激動の世界を生き抜いた逞しさと信念

数々の歴史的決断、人道主義の信念…
篠田 英朗 プロフィール

UNHCRは帰還民支援でも圧倒的な存在感を見せる。結果として、緒方氏は欧米諸国政府から絶賛されることになった。緒方氏の歴史的な判断が、勝利を収めた瞬間だった。

ただ、この緒方氏の判断が、冷戦終焉時・岸戦争終結後の時代・地域においてなされた「政治的」なものであったことは、否定できない。

アメリカによる「飛行禁止」地域の設定によって、イラク北部のクルド人居住地域は、バグダッドの中央政府の統治が及ばない事実上の自治国となった。

大量のクルド人の若者たちが英語を話す親米主義者に生まれ変わり、ワシントンDCで「ネオコン」たちにフセイン政権打倒をけしかけるクルド人たちとともに、2003年イラク戦争後の時代に、重大な役割を演じることになる。

アメリカとクルド人たちが特別な関係を確立したとき、現場にいたのが、緒方氏のUNHCRだった。

 

サラエボ包囲

弁務官就任直後の緒方氏の名声を高めたもう一つの事件は、ボスニア・ヘルツェゴビナにおける「サラエボ包囲」である。

冷戦の終焉に伴うユーゴスラビア連邦の分裂は、終戦時までに20万人が犠牲となったボスニア・ヘルツェゴビナにおける凄惨な内戦をもたらした。

その頃、国連事務総長を務めていた初のアフリカ出身の事務総長のブトロス・ブトロス=ガリは、安全保障理事会であまりにもボスニアばかりに着目している欧米諸国に批判的だった。

アフリカにもっと目を向けてほしいという意図で、ボスニア紛争を「金持ちの紛争」と呼ぶ失言をしてしまい、欧米諸国政府・世論の猛批判を浴びるという混乱も起こっていた時代だった。

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