緒方貞子とは何者だったのか? 激動の世界を生き抜いた逞しさと信念

数々の歴史的決断、人道主義の信念…
篠田 英朗 プロフィール

まだ多国籍軍の軍事プレゼンスは残っていたため、まずは輸送面で、UNHCRをはじめとする人道機関は各国軍隊の協力を得た。

難民の法的保護などを行う組織として出発した歴史を持つUNHCRは、自らは航空輸送能力を持っていない。そこで各国軍隊が提供する200機の輸送機と、2万とも言われた軍人・文民双方の人員が動員され、壮大な難民支援の人道援助作戦が進められた。

湾岸戦争時、世界のほぼ全ての国々が、国連安保理決議の法的裏付けもある多国籍軍の活動を支持した。その国際政治の環境の中で、UNHCRの活動は可能となった。

UNHCRのような援助機関がどっぷりと各国軍隊の輸送力に依存する形で進める人道援助活動は、それまでに類例のない政治的性格を持つものだったが、UNHCRはその特別な役割を演じきった。

 

4月になると、国連安全保障理事会は決議688を採択し、イラク国内の避難民への国際的な支援を根拠づけた。

当時は崩壊直前のソ連も、国力の弱かった中国も、アメリカ主導の踏み込んだ決議に拒否権を発動できる状態になかった。この決議を根拠にして、アメリカは、アメリカ合衆国はイラク領内の北緯36度線以北をイラク軍機の飛行禁止にし、イラク北部に「安全地帯(safe havens)」を設定するという宣言を行った。

そして湾岸戦争を通じてサウジアラビアに確立した航空兵力によって、その宣言を裏付ける軍事行動に出た。イラク北部の国内避難民保護の作戦は、冷戦終焉直後の特異な国際政治環境の中で起こった出来事であった。

UNHCR内では、米英仏を中心とする西側諸国政府の意向を受けて、イラク国内の避難民を保護する人道支援活動に踏み切るか、歴史的な判断が議論された。多くの追悼文が描写するように、緒方氏がこの判断を、人道主義の精神に則って行ったことは間違いない。

しかし国外に逃れた難民を保護するというUNHCRの本来の任務から逸脱した活動を、アメリカを中心とする政府の意向にそって、それらの国々の軍事的な防御を期待して行うことに、大きな政治リスクがあったことは確かである。

アメリカの強い決意を見たフセイン政権は、4月18日に国連機関の国境付近地域での活動を受け入れる決定を行う。そしてイランやトルコに流出していた難民のうち130万人の難民がイラク領内に帰還し始め、「史上最大の難民危機」は封じ込められることになった。

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