「最もなじみ深い数学的対象といえば、自然数や整数、実数などの数でしょう。そして、数を調べるときに、1つひとつの数を個別に扱うのではなく、ある性質を満たす数を全部集めたものを調べるという考え方があります。
このように、ある数学的対象を集めたものを数学では「集合」と呼びます。たとえば、自然数全部の集合はNと表され、無限集合になっています。また、実数全部の集合Rはよく数直線として表現されます。
このような数の集合には、自然とさまざまな「構造」が入っています。たとえば、実数全部の集合Rの数直線としての表現は、2つの実数の大小という「関係」や2つの実数の間の「距離」などの構造を表現したものと言えます。

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これらの構造以外にも、数の集合は足し算や掛け算などの「演算」と呼ばれる構造を持ちます」
勝良さんが「可愛らしい」と笑う分野とは
このようなさまざまな種類の構造を、写像(※1)などの集合論の言葉で記述することで、構造そのものを調べることが可能になるのだという。
「ある構造に注目するごとに、その構造を持つ集合というのが数学における研究対象になります。たとえば、距離という構造から幾何学の分野の対象である距離空間や位相空間(※2)という概念に行き着くし、足し算や掛け算などの演算という構造から代数学という分野の対象である群や環、体(※3)といった概念に行き着きます。
現代の純粋数学の研究では、そういった数学的対象の例を探したり、そのような対象が共通に持つ性質や異なる対象の間の関係を調べたりすることが、よく行われているのです」
なかでも、勝良さんがとくに興味を持って研究に取り組んできたのが、異なる構造(環と距離空間など)の間の関係や、複数の構造(群と位相空間など)を同時に備える対象だという。
「私がこれまで研究してきたC*環(※4)と呼ばれる対象は、先ほど述べた距離空間や環という構造の他に線形空間や「*」(スター)と呼ばれる構造が定まっていて、これらの構造間に定義されるさまざまな条件(※5)を満たしているもののことです。
C*環は、力学系(※6)や位相空間、体など他の数学的対象と不思議な関わりを持ちながら今でもさかんに研究されている対象です。
私はこのC*環をとても可愛らしいやつだと思っているのですが、そのイメージを短い文章でわかりやすく伝えることはできません。わかりやすい説明には、不正確さや嘘が混じっているものですからね」と、勝良さんは笑う。

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抽象化された世界は「美しい」
勝良さんは、抽象化された数学世界を研究することに、どのような意義を見出しているのだろうか。
「一番のモチベーションは、そこに美しさを感じる、ということです。問題に向き合うなかで、ときに本当に美しいと思える真理を見出すことがあります。
19世紀に、複素解析学(※7)と呼ばれるとても美しい分野が数学者によって発見されました。この複素解析学が20世紀になって、フォン・ノイマンらによる量子力学の数学を用いた記述においてとても重要な役割を果たし、そしてその成果は半導体を通して現在の社会を支えています。
このように、本当に美しい数学というのは、後世に思ってもみない形で応用されることが少なくありません。私も後世に残る成果を残したいですね」と、勝良さんは意気込む。
今後は、C*環論だけでなく、力学系、整数論、集合論など、さまざまな分野の境界領域に研究対象を広げ、未解明な数学の新たな領域を切り拓いていきたいと展望を語った。
※2 位相はトポロジー(topology)の訳。波などに関係する位相はphaseの訳でまったく別の概念。
※3 大ざっぱに言うと、足し算の構造を持つものが群(ぐん)、足し算と掛け算の構造を持つものが環(かん)、さらに割り算を考えられるのが体(たい)である。
※4 C*環(シースターかん)は、作用素環と呼ばれるものの1つ。もう1つは、作用素環の生みの親フォン・ノイマン(John von Neumann, 1903~1957年)の名を冠したフォン・ノイマン環。作用素環論は量子力学を数学的に定式化する目的で20世紀に生み出された。作用素とは無限行列のようなものであり、作用素環は作用素を集めた環である。※5 さまざまな条件の中で||T*T||=||T||2という条件はC *条件と呼ばれ、C*環を作用素環たらしめる不思議で重要な条件だ。
※6 力学系とは、状態の時間発展を記述するもので、作用素環と同じく物理から誕生した数学の分野である。
※7 複素解析とは、高校で習う微分積分において実数を複素数に置き換えたようなもの。