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マスコミの罪…薬物乱用の「処罰報道」が、依存症患者に与える苦しみ

大切なのは「処罰」よりも「治療」

「処罰せよ!」と言うことの意味

最近、元タレントとスポーツ選手が覚せい剤所持や大麻輸入の容疑で相次いで逮捕された。テレビのワイドショーは連日、過去の映像を交えて、知人の「がっかりした」「反省しろ」といった類のコメントを放送している。底に流れているのは「処罰感情」だ。

薬物の乱用は、本人の脳や神経、内臓を侵し、ときには窃盗や暴力などの犯罪を誘発して社会秩序を乱す。だから厳しく罰しなくてはいけない、大ごとだ、といった感情が働いている。私自身も、以前はそのような思い込みをしていた。

が、しかし、薬物問題でメディアのさらし者になる有名人の多くは「薬物依存症」という疾病にかかっている。病気からの「回復」をどう支えるのか、社会全体で薬物依存のリスクをどう減らすのか、という広い意味での「医療(ケア)」の視点から眺めると、どうもようすが違ってくる。

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私は犯罪行為を擁護するつもりはないが、メディアの制裁的な伝え方は危険だと思うようになった。薬物依存症の人への罵りや「人間やめますか」のような人格否定の表現、親族への執拗なコンタクトなどは本人を孤立させるだけでなく、いま、この瞬間も回復しようと努めている人たちの心をへし折り、逆戻りさせかねない。報じる側は「正しい」と思っていても、逆効果の恐れがある、と感じている。

認識を改めたきっかけは、今年7月下旬、東京都小平市の国立精神・神経医療研究センター(NCNP)での取材だった。