戦後の秘蔵資料に垣間見える講談社の「戦争中の責任」に対する葛藤

大衆は神である(75)
魚住 昭 プロフィール

あれは「戦争協力」ではない。「国策協力」だった

では、講談社の人々は自らの「戦争中の責任」とどう向き合ったのだろうか。

それを知るのに格好の手掛かりが、秘蔵資料「キング」(第60巻)の座談会にある。発言者は元『キング』編集部員の西井武夫と佐藤鉄男である。

なお、二人のやりとりの前に司会者・笛木悌治の「もし戦争がなかったなら、『キング』が今日なお日本一の大雑誌として君臨していたであろうことは疑いを入れない」という発言があったことをお断りしておく。

 
西井 いま笛木さんのお話にあったように、戦争がなかったら『キング』は世界的な大雑誌になっていただろうということですが、やはりこの『キング』は戦争には一番協力した雑誌で、戦争が始まると同時に、全社をあげて戦争に強力なる協力をしたわけです。一例を挙げれば、「国策回覧板」、グラビアは「戦争画報」、本誌に至ってはさらに戦争に協力、力を合わせるし、読者もこれについてきました。そのうちカナ文字の追放が難しい問題になって、マッチもいけない、ステッキもいけない、そういうものが(『キング』に)使ってあるという葉書がくるわけで、それが誌名にまで及んできて、一体いつまで『キング』というカナ文字を使っているのだ、こういう誌名ならもうついてゆけないという、強烈なことまで言ってくるんですね。その結果、編集がだんだん動かされて、『キング』を『富士』に変えざるを得なくなった。戦争協力の誌面に読者が本当についてきて、そのために題名にまで及んだということですけれどもね。
佐藤 西井さんね。僕はそれがどういうふうな目で言われているか。戦争協力というのはちょっと記録に残すのは困ると思うんですね。戦争協力というんじゃなくって、国策に協力している。国の方針が戦争ということだけれども、戦争協力より、やはり国策に協力しているという、その辺の用語が大変大事になってくるわけですね。
西井 そうですね。戦争協力ということではなく、国策協力ということにお考え願いたい。

西井発言は、『キング』の『富士』への改名(昭和18年)が、軍部でなく読者の圧力を受けて行われたという事実をしめしていて興味深いのだが、ここで注目してもらいたいのはそこではなく、「戦争協力というのはちょっと記録に残すのは困る」という佐藤発言である。

それに対し、西井がすんなり同意したためか、速記録の「戦争」の二文字には赤線がひかれて「国策」に書き換えられ、佐藤発言と、最後の西井発言が全面削除されている。

どうやら戦争の記憶がまだ生々しい昭和30年代前半(この時期に講談社五十年史の編纂作業が行われた)の講談社においては、「戦争協力」という言葉は禁句で「国策協力」に置き換えなければならぬという空気が優勢だったらしい。