皇室記者が現場で感じた、新天皇夫妻と上皇夫妻の「大きな違い」

「お堀の内側」で目にしたもの
大木 賢一 プロフィール

マスコミ幹部ですらこんなものですから、少なからぬ国民は、皇室記者というのはプロ野球の「番記者」のようなもので、皇族と顔を合わせれば雑談でもすると思っているのかもしれません。

全然違います。そのような「対等」に近い関係ではないのです。数mほどの距離にいるわけですが、天皇や皇后が報道陣に会釈でもしようものなら、記者は反射的に頭を下げます。無言です。顔を上げることもできません。そんな関係性の中で、決められた位置から目を凝らし、必死で記事を書いているのが宮内庁記者です。

こうした「記者との距離感」を知った上で報道を見てもらわないと、本当のことは読者や視聴者の方々には分からないのではないか。記者の立ち位置と目線からどんな世界が見えるのか、興味のある方は拙著『皇室番 黒革の手帖』を手に取っていただきたいと思います。

 

「自己プロデュース」

前天皇夫妻の行ってきた慰霊の旅や被災地訪問はいずれも立派なことで、「象徴天皇」の在り方としても適したものだったと感じます。

ですが私は、前天皇が多用してきた「象徴の務め」なる言葉に反感を持ちます。象徴天皇の「義務」は、憲法に定められた国事行為のみなのに、それ以外のことも含めて「務め」と言ってしまえば、後の天皇たちは、それぞれの思いで自由にふるまえなくなってしまうのではないかと心配です。

前天皇夫妻、特に美智子さんは、プロデュース能力にたけた人だと思います。若い読者には「優しいおばあちゃん」のイメージしかないかもしれませんが、若いころは、大きなサングラスを頭の上にかけるなど、女優然とした振る舞いで世間の憧れを浴びるファッションリーダー的存在でした。そこには強い「自意識」を感じます。