菊池桃子氏が初めて肉声で結婚を報告したのは、パーソナリティーを務める文化放送「菊池桃子のライオンミュージックサタデー」の中でだった。
「11月4日、大安に9つ年上の男性と入籍しました」と切り出し、「いろいろ流れた報道の中には皆さんを不安にさせるものもあったかもしれませんが、優しい人です。安心してください」(文化放送・ラジオより)
「皆さん」とは今も変わらずアイドル時代の菊池桃子のファンであり続ける同世代のファンを想定しているのだろう。何より先に、自らのキャリアを打ち立てるきっかけとなった「タレント」の職責を果たすのだ。
そのためか桃子氏は今回の再婚に際し、ちょっとした「物語」を用意した。
「臆病な私」と「子どもの後押し」。この二つは「世間から批判されない再婚」のために欠かせない必須アイテムである。桃子氏は確実に先人たちに学んでいるのだ。
1984年デビューの菊池桃子氏がその前の1980年デビューの松田聖子や1982年の中森明菜、小泉今日子、斉藤由貴といった自己主張の強いアイドルと一線を画し、独自の人気を保ってきたのは「守ってあげなければならない」と思わせる存在だからだ。
「臆病」は奥手、清純とほぼ同義語。往年の桃子ファンにとってはたまらない言葉だろう。
「桃子はこれからも男性の手の届く範囲内で微笑みを絶やさず生きていく」という宣言ともとれる。再婚も「子どもたちの後押し」であったことを強調することで、それ以上他人がとやかく品評する余地を「やんわり」と退ける。
桃子氏は「菊池桃子」のブランドイメージを壊さぬよう気配りをしながら、発表で使う言葉を吟味したに違いない。「再婚における子どもの存在」については後述する。
夫である新原氏は入籍発表早々に出会いから結婚に至る過程についてぶら下がりのインタビューに答えている。
その中で桃子氏に対する気持ちを表す場面があるが、彼女を尊敬する具体例としてあげたのは「働きながら毎朝お弁当を作っていること」である。
いやいや、通産省の中にも毎朝子どものお弁当を作って登庁している女性職員はいるだろうに今までその存在にも気づいていないのか?とツッコミを入れたくもなるが、「お弁当」という郷愁アイテムに心を揺さぶられたエピソードで母としての桃子氏の偉大さを強調することによって、男女としての生々しさをかわしてもいるとも言える。