5月24日 北海道・十勝岳で噴火(大正噴火)が起こる(1926年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

1926年(大正15年)の今日、北海道美瑛村(現・美瑛町)、上富良野村(現・上富良野町)、新得村(現・新得町)にまたがる十勝連峰の主峰、十勝岳で噴火が起こりました。

【図】十勝岳の位置
  十勝岳の位置 (気象庁「北海道の活火山」 より一部改変)

十勝岳は、標高2077mの活火山で、およそ200万年前にわたる数々の噴火活動によって形成されました。

 

玄武岩~安山岩の火山体群からなり、 火山形成史としては古期(30〜50万年前まで)・中期(数万年前まで)・新期と3期の形成史に区分することができます。主峰部は、中期火山に属し、グラウンド火口などの火口群があります。

【写真】山頂付近には火口群がある
  山頂付近は大小の火口がある photo by gettyimages

十勝岳で起こった規模の大きな噴火は5回ほどが確認されていますが、安政期(1857年ころ)と1887年(明治20年)の噴火は、はっきりした記録が残っていません。この大正噴火が、詳しい記録の残る最古の噴火ということになります。

1887年の噴火後、30数年ほどは活動が鎮静化していましたが、1923年(大正12年)ごろになると、再び噴気活動がはげしくなってきました。噴火は、24日12時ごろに1回めの噴火が起こり、16時すぎに2回めが起こりました。

この爆発でグランド火口内の中央火口丘が壊れ、崩壊物が北西側の斜面を流下しました。残雪が多い時期だったため、溶けた雪により泥流が生じました。泥流は美瑛川と富良野川に分かれて流下、上富良野原野一帯を覆い尽くしてしまいます。泥流の到達まで、火口から25kmあまりを、わずか25〜26分だったということです。

泥流のほか、火口表土の旧岩屑が1万立方メートル、噴出した溶岩の新火山弾が3000立方メートル、火口の周辺に放出されました。新火山弾は、暗黒色多孔質のカンラン石含有紫蘇輝石、普通安山岩で、泥流発生の直後に放出されたものと考えられています。また、細粒の火山灰は、火口から北方(やや東より)へ降り落ちました。

【図】十勝岳噴火の影響
  勝岳の噴火による影響を示した地図(国土地理院の火山地形分類データの図に判例などを付記)

この噴火により、死者144名、建物崩壊372棟、罹災世帯400以上の大きな大きな被害が生じました。これらはおもに流下泥流によるもので、特に上富良野村と美瑛村の中心部の被害が甚大でした。

また、火口から幅250メートル、距離1000メートルの斜面に堆積したのは、火山ガス(硫気)によって変質をうけた岩塊を多量に含む砕屑堆積物で、しばらくその表面から無数の二次噴気活動が続いたということです。いわゆる硫気変質帯です。

噴火活動は1928年(昭和3年)ごろまで続きました。その後は、長く鎮静化していましたが、やはり30数年経った1962年(昭和37年)6月に再び大規模な噴火が起こっています。

これまでの十勝岳の噴火活動から、周期性を認める意見もありますが、1962年の後は、小規模な活動はあるものの、目立った噴火は起きていません。日々の火山活動は気象庁が監視・観測を行っています。

百名山にも数えられる十勝岳、訪問の際には火山情報などにも十分気を付けたいものです。

【写真】美瑛岳から見た十勝岳
  仕北東側に座する十勝連峰・美瑛岳の山頂からみた十勝岳 photo by gettyimages

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