1990年代半ばに「ゆとり教育」の導入に疑問をもって数学教育活動を始めてから、すでに25年近くになる。
私は当時から日本の「数学嫌い」が諸外国と比べて突出していることに目を向けて、新聞・雑誌・著書等で数学の意義を訴えるばかりでなく、全国各地の200校を超える小・中・高校で、興味・関心を高める題材を用いて出前授業を展開してきた。
それと同時に、「答えを当てる」数学マークシート式試験の問題点を指摘し、プロセスを大切にした「答えを導く」数学本来の記述式試験を可能な限り用いることを訴えてきた。
2013年の5月18日に朝日新聞「私の視点」で「論理的に考え書く力」を、同月28日に読売新聞「論点」で「高校生論述の力低下」を発表し、さらに同年11月には著書『論理的に考え、書く力』(光文社新書)で上記の入試に関する主張を詳しく述べた。そのころから、記述式試験の意義が少しずつ浸透してきたかもしれない。
加えて私は著書や講演で、マークシート試験の問題点や「抜け道」を繰り返し指摘してきた。
たとえば、現在の受験業界では、マークシート試験対策として「最後の正解を当てる技術」のみが次々と進化している。とくに、文字変数に具体的な数値を代入すると正解がバレやすくなる。
また、解答欄の形や学習指導要領の範囲から、答えを推定できてしまう場合もある。
こうした指摘をすると、読者から「マークシートを見るだけで正解がわかる、その裏ワザをもっと教えてくれ」といった要望が相次いだのは残念なことであった。
いずれにせよ、「マークシート式試験対策の学びでは、論述力を育(はぐく)むことはできない」と私は訴え続けてきた。論述力を測る上で有効な証明問題は、マークシート試験では出題不能である。
とにかく、全文を書くことに意義があるのだ。
実際に、プロセス軽視の「やり方暗記」の学びが続いた結果、私の主張を裏付ける以下のような事実が出てきている。
国際的なものを含む大規模な学力調査結果で、「計算は得意であるが、説明文の答案には白紙が多い」ことが再三指摘されている。
2014年に出題された千葉県立高校入試の国語で、地図を見ながら道案内する文を書く問題が出題されたが、半数が0点だった。
東北大学理学部入試の数学(記述式)とセンター試験の数学(マークシート式)の関係では、相関関係がなかったことが発表された(朝日新聞2004年5月30日参照)。