5年ぶりの再会と「プロボーズ大作戦」

1992年5月、「雅子さんプロジェクトチーム」の選んだ仲介役の元外務次官、柳谷謙介氏が、雅子さまの父・小和田恒氏に宮内庁の意向を伝えた。

宮内庁が正式に雅子さんをお妃候補として考えていること。皇太子自身が雅子さんに会いたがっていること。

お妃候補の話などすっかり終わったものと仕事に邁進していた雅子さまは、もちろん驚き、戸惑った。それでも、宮内庁からの猛アプローチと皇太子のお気持ちを無下にもできず、8月半ば、ついにおふたりの5年ぶりの再会が実現する。そして、この後、小和田家には陛下から直接電話やFAXが届くようになったという。

1992年7月23日、外務省職員として出張先のNYで、ハーバード大学時代のご学友と再会。この後に皇太子殿下と再会した 写真提供/宮内庁

一生一代の勝負の日は、再会から1ヵ月半後。1992年10月3日のことだった。

その日、雅子さまにプロポーズすることを心に決めていた陛下は、東宮仮御所の裏扉から出て、こっそりと職員の自家用車に乗り込んだ。外から見えないように段ボール箱を積み、毛布を被って身を隠すという徹底ぶり。マスコミにかぎつけられないようにとの隠密行動だ。

秘密保持のため、このことは一部の職員にしか知らされておらず、日中は、誰もいない陛下の部屋に昼食を運ぶなどの偽装工作さえ行われた。まさに「皇太子のプロポーズ大作戦」!!

陛下が向かったのは、千葉県市川市にある宮内庁新浜鴨場。野鳥たちのさえずりの聴こえる美しい池のほとりで、陛下は雅子さまと向き合い、ストレートにこうおっしゃられたという。

「私と結婚していただけますか」

しかし、雅子さまはすぐに答えを出すことはできなかった。

当たり前だ。皇太子のプロポーズを受けるということは、未来の皇后になるということだ。天職だと思っていた外交官の仕事を捨て、自由を捨て、「日本の象徴」である天皇陛下を支え、一生を国のために捧げるという覚悟のいることだ。おいそれと決断できないのは当然だし、おいそれと決断されたら、むしろ不安だ。

それからまもなく、雅子さまは風邪で10日ほど仕事を休んだ。その間、ずいぶん深く悩まれたのではないだろうか。お妃報道で散々マスコミに追い回されたトラウマもあった。もしも皇太子妃になったとしたら、この先ずっと、世間の注目の中で生きていかなければならないのだ。

皇室に入ることへの不安、責任、仕事、夢、自分の人生……。その頃の雅子さまの心の中には、他人には想像もつかないような嵐が吹き荒れていたのだと思う。