外交官としてフル回転

1986年、外交官試験に合格直後の雅子さま。同年10月18日に開催されたスペインエレナ王女の歓迎レセプションで、浩宮殿下と出会った 写真提供/宮内庁

さて、一方、外交官候補の海外研修生として、イギリスのオックスフォード大学院に留学していた雅子さまは、「完全否定宣言」の翌年、1990年(平成2年)6月に帰国。外務省北米2課に配属されて、いよいよ本格的に働き始めた。

北米2課は、アメリカやカナダとの経済関係における外交政策の企画立案、調査などが主な仕事。働き方改革が叫ばれる現在では考えられないかもしれないが、雅子さまは連日深夜までエネルギッシュに残業し、職場では深夜12時が「小和田タイム」と呼ばれるほど。徹夜して朝家に帰り、着替えとメイクをしなおして、さわやかな顔で霞が関に戻る。

「眠らなくても平気な女性」「タフネスマーちゃん」との異名を取り、そのタフな仕事ぶりには、周囲も舌を巻いていたという。

竹下登元首相の日米環境セミナー基調講演の素案を作ったり、政府要人の外交交渉での通訳を務めるなど、華々しい実績も残した。

1991年11月、日米半導体協定締結をめぐる話し合いの場において、雅子さまはベーカー米国務長官やヒルズ米通商代表(いずれも当時)の通訳を務めた。そして、そんな雅子さまの姿を、当時皇太子だった陛下は、テレビのニュースでご覧になっていたという。

 陛下が雅子さまと会われたのは、1987年4月、高円宮憲仁殿下邸でのお茶会が最後だった。その頃の雅子さまは、外務省に入省したばかりで研修中の身。まだあどけなさの残っていた23歳の女性が、今や立派な外交官として活躍している。27歳の美しい大人の女性となられた雅子さまの姿に、陛下の心に長年秘められていた想いが再燃したとしても不思議ではない。

それから間もなく、1992年(平成4年)1月のこと。陛下はついに宮内庁幹部の前で、ご自身の本当の想いを口にされた。

「小和田雅子さんではだめでしょうか」

 初めて出会った時から、陛下はひそかに雅子さまを思い続けていた。が、将来の天皇となる身では、自分の感情ばかりを優先するわけにはいかない。

 「心を動かされたのは雅子さんだけ」

 近しい人たちにそう洩らすことはあっても、周囲の意見を慮って、それまで自らの希望を主張することはなかった。その陛下が、ついにはっきりと意中の人の名前を挙げられたのだ。