昭和史が人気でありつづける理由…私たちが学べる教訓とは?

「昔、あった悲劇」ですまさないために
井上 寿一 プロフィール

格差社会をないがしろにした戦前日本

戦前昭和の政党が社会政策に取り組んだのは、格差社会の現実があったからである。ここに当時と今の類似点がある。戦後の日本社会は格差が是正に向かった。「一億総中流」時代が訪れた。しかし今、ふたたび戦前昭和のように格差が拡大している。戦前昭和の格差社会の問題は今日に何を示唆するのか。

戦前昭和の政党による社会政策の取り組みは、1932(昭和7)年の五・一五事件(テロとクーデタの未遂事件)によって政党内閣が崩壊したのち、実施が遅れる。格差も拡大する。所得格差を示す統計値のジニ係数の上昇傾向に変わりはなかった。

 

このような状況のなかで、1936(昭和11)年に大きな転機が訪れる。この年の2月26日に二・二六事件が起きる。このクーデタ事件の背景には格差社会の現実があった。反乱軍の兵士たちは蹶起の理由として、「富の偏在」と農山村の「疲弊」などの格差の問題を挙げている。

政府はクーデタの再発防止の観点から社会政策の必要性を認識するようになる(高岡裕之『総力戦体制と「福祉国家」』)。国民健康保険法の成立と厚生省の設置が1938年に実現する。この年には農地調整法も成立している。日中戦争下の食糧増産を目的として、小作料の段階的減免が実施される。地主と小作農民の格差は是正に向かう。戦争が持つ格差を是正する社会的な力への期待が高まる。

しかしこのような期待は、戦時下の束の間、満たされたにすぎず、すぐに戦況の極端な悪化によって、裏切られる。政党内閣の時代に社会政策の実現が遅れたことは、国家的な破局の遠因となった。

格差是正を目的とするさまざまな社会政策の実現の速度と規模をめぐって政党が競う。戦前昭和の格差是正の失敗の歴史は、このことの重要性を示唆している。

新しいメディアの影響

SNSなどの新しいメディアが社会に大きな影響を及ぼしている。その影響は功罪相半ばする。戦前昭和も同様だった。当時の新しいメディア=ラジオの影響力は大きかった。満州事変の勃発(1931年9月18日)を直接のきっかけとして、ラジオが急速に普及したことはよく知られている。ラジオは満州事変熱を煽った。

他方で聴取者はラジオに安否確認情報を求めた。それだけではなかった。日中戦争が始まった年(1937年)のラジオ聴取状況調査によれば、聴取率75パーセント以上の人気番組は、浪花節、歌謡曲、講談、落語、漫才、ドラマなどだった。戦時下であっても、国民はラジオに娯楽を求めていた。

戦時下の大衆娯楽に対する統制の実態は、近年、研究が進展している(金子龍司「『民意』による検閲」『日本歴史』794号、2014年など)。これらの研究によれば、流行歌が放送禁止の措置を受けるようになったのは、「民意」が検閲当局を動かしたからだった。

「民意」とはラジオ局の日本放送協会宛に投書をする「投書階級」のことを指す。1938年の「投書階級」の投書は約2万4000件で、ラジオ局の担当者はこれらの投書をすべて読んで、番組に反映させた。「投書階級」は軍歌を擁護して流行歌を排撃する。西洋クラシック音楽を嫌悪する。ラジオの娯楽番組に対する統制の主体は、検閲当局というよりも、「民意」=「投書階級」だった。