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昭和史が人気でありつづける理由…私たちが学べる教訓とは?

「昔、あった悲劇」ですまさないために

なぜ昭和史は人気なのか?

なぜ昭和史(なかでも昭和20年までの)は人を惹きつけて止まないのか。戦後、昭和史にもっとも関心が集まったのは、1955年から翌年にかけてのことだった。

敗戦から10年を経た1955年11月に刊行された遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』(岩波新書)は、翌年のベストセラー第5位になった(第1位は石原慎太郎『太陽の季節』)。

 

敗戦後、近過去を思い出さないようにがむしゃらに働き、人びとの生活は安定に向かった。生活の安定は激動の戦前昭和史をふりかえる余裕をもたらす。このこともあって、『昭和史』はベストセラーになったと推測する。

さらに1960年代の高度経済成長が始まる。『中央公論』(1963年9月号)に林房雄「大東亜戦争肯定論」が掲載される。高度経済成長にともなう自信の回復によって、日本によるアジアの解放論が受容されるようになった。

1980年代に入ると、日中間で歴史教科書論争が起きる。この歴史教科書をめぐる国際冷戦に対して、1990年代から2000年代にかけて、今度は歴史教科書をめぐる国内冷戦が拡大する。「あたらしい歴史教科書をつくる会」の社会運動は、大きな論争を巻き起こした。

歴史教科書の国際冷戦の緊張緩和を求めて、日中と日韓のあいだで歴史の共同研究がおこなわれる。2つの共同研究は政治の影響を受けて、緊張緩和に結びつかなかった。国内冷戦の方も続くなかで、近隣諸国関係が悪化する。今では近隣諸国との「歴史戦」が戦われるようになっている。

以上の略述から明らかなように、昭和史への関心は時代状況の反映である。他方で時代状況を超えて、人びとは昭和史に惹きつけられる。以下では歴史的想像力を働かせて、昭和20年までの昭和史が今日の日本に示唆するのは何かを具体的に考えることにする。

歴史から学ぶ、野党に必要なもの

安倍(晋三)長期政権が続いている。内閣支持率も高い。安倍自民党総裁の4選の噂もある。公明党との連立政権とはいっても、自民党優位の政治体制であることに変わりはない。1955年体制は崩壊したはずである。それなのになぜ続いているのか。

世論調査の示すところ、政権交代のある政治体制が求められている。他方で支持政党なしが第1位で、野党各党の支持率は1桁パーセントに止まる。政権交代は可能なのか。

戦前昭和は、10年に満たなかったけれども、政友会と民政党(憲政会)の二大政党制の時代があった。戦前昭和の二大政党制の歴史は、つぎのようなことを示唆している。

見習うべきは選挙に敗けた時の対応である。1930(昭和5)年2月20日の衆議院総選挙で政友会は民政党に174議席対273議席で惨敗する。政友会は政党の原点に立ち返って、全国各地で調査を始める。現場感覚を徹底する。

困窮する東北地方の農村や都市の労働者の悲惨な現実に接した政友会は、そこから失業問題の解決と社会政策の立法を具体的な対案として掲げる。政友会の真摯な取り組みは、2年後の総選挙で報われる。政友会は301議席を獲得して政権の座に就く。

同じ過ちをくりかえしてはならないのは、党利党略に基づく足の引っ張り合いである。政友会内閣の時に日本は不戦条約に調印した(1928年)。野党だった民政党は、条約の趣旨には賛成だったのに、「人民の名において」調印したことを非難した。

1930年になると、民政党内閣が調印したロンドン海軍軍縮条約を今度は政友会が「統帥権干犯」と非難した。政友会も条約そのものには賛成だった。主要政党が2つしかないということは、一方の政党の失点は他方の政党の得点になって、政権が転がり込むことを意味するようになった。足の引っ張り合いが酷くなった二大政党制に対する国民の信頼は失墜した。

今日の野党に必要なのは、選挙区や全国各地の現実の分析に基づく政策立案力である。それは現場感覚に裏づけ、有権者の共感を呼び起こさなければならない。他方で閣僚や与党政治家の失言の片言隻句をとらえて非難するようでは支持は得られない。有権者が求めているのは政策論争である。