川端康成、柴田錬三郎…大御所と呼ばれる作家たちの「スゴイ文章力」

作家・宮城谷昌光の人生最高の10冊
宮城谷 昌光

文章を写して研究を重ねた

雪国』に出会ったのは大学2年生の夏休みでした。実家のある町で小さな本屋に入った時、たまたま雪という字が見えたんです。私は大学の合格発表の時が大雪だったので、雪には色々と良い縁がありました。本棚に並んでいたのは谷崎潤一郎の『細雪』と本作。前者は分厚く後者は薄かったので、『雪国』のほうを読んでみることにしたんです(笑)。読んでみると、とても面白かった。

ヒロインとして出てくるのは、駒子という芸者です。私は子どもの頃、置屋ですごしたこともあり、芸者は自分でも書けると思ったんですが、そう話は簡単ではなかった。どう書けばこういう小説が書けるのかと、『雪国』の文章を冒頭からひたすらわら半紙に写しました。

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そうしたら色々なことがわかりました。かぎかっこの使用や改行が、それぞれ緻密に計算されているんです。また、柴田作品にも通底するようなコントラストも見事です。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という有名な出だしも、本当は「県境」が正しいわけです。しかし実際には存在しない「国境」という言葉を使うことで、トンネルの前と抜けた向こうには、世界に明確な差があることがより明らかになる。

川端さんの作品には、こうした文章的な実験があちらこちらに見られます。その特色については、小説のみではなく広告や辞書などさまざまな文章を解読する、井上ひさしさんの『自家製 文章読本』でも詳しく触れられています。

 

技術面についての驚きは、ポーの推理小説『黄金虫』にもありました。特に驚いたのは、語り手の素性がわからないことです。筋としては友人から誘われて、語り手が宝さがしに参加するという話ですが、語り手については名前すらもわからない。こうした基本的なことを省略しても、小説は成り立つのだと知ったことは衝撃でした。

私は大学を卒業するころには小説家を志していたのですが、まだ20代前半の自分に、どういうものが書けるか悩んでいました。面白い経験があるわけでもないし、内容よりも文章で驚いてもらうしかない。そのためにはしっかりとした技術を身に着ける必要がある。そうしたことを考えるために、本を読み文章を学んだのです。

本音を言えば、私は書くことは好きですが、読むのはあまり好きではない。読むのも遅くて、大学生の時に買ってまだ読み終わってない本もあります。ただ、「読むこと」なしに「書くこと」は生まれなかったでしょう。(取材・文/若林良)

▼最近読んだ一冊

「永井荷風の訳が非常に流麗で美しい。この本に収録されている『正午』という詩の、『正午なり……真白き道は海に走れり』という一節は、その情景がくっきりと頭に浮かんできて、今でも心に残っています」