道後温泉が「なぜだか、ほっとする場所」だと言える理由を考えた

『巡礼の家』著者、天童荒太に訊く
天童 荒太

「場所」を大切にした小説

―宿の美人女将・美燈は、元々さぎのやの人間ではありませんでした。女将になるにはそれなりの資格が必要だけれど、家系や血筋は関係ない。

歴史あるものを家系や血筋だけでつないでいくと、ときに倫理的に問題がある者や大切な務めを十全に果たせない者も出てきますよね。

この小説で大切にしたかったのは「場所」です。人々を迎え、元気づけていく宿こそが大事であって、宿の責任者である女将さんは言ってみれば、バトンを受け取り、務めを果たして、次の継承者に渡す人。だから家系も血も関係なく、宿の哲学を最も守れる人がなればいいと思いました。

 

そして僕は、このバトンを渡す営み―各々が与えられた場所、預かった場所をしっかり守り、できるだけ豊かな形で次の人に渡していくことは、人間の本来の役割だろうと思っています。

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―雛歩はさぎのやの生活の中で心身を回復させていきます。一方で心に蓋をし、誰にも話さないことを抱えています。

人を簡単に癒やせると思ってはいけない、という想いが強くあります。手を差し伸べて、話を聞いたくらいでは、とうてい無理なはずだと。災害や事故、あるいは虐待などで大きな傷を受けた人が本当に力を得て次の一歩を踏み出すには、多くの時間と多くの支えと多くの寛容さが必要です。これは『永遠の仔』や『悼む人』を経て、自分の中に宿った感覚ですね。

―そんな雛歩を動かしていくのが、宿を訪れる「お遍路さん」であり、松山の秋祭りです。大神輿をぶつけ合う〈鉢合わせ〉には興奮しました。小説には松山と道後温泉の魅力が詰まっています。

傷を負った人が傷を見つめ直し、それでも生きていくのは本当に大変なことです。でも、多くの時間と多くの人の手をかければ、人は再生しうるものでもある。そうした象徴として、祭りを表現したかった。この十月に行われた実際の祭りで、最重要ポストである「大頭取」を務めたのは僕の幼稚園からの幼馴染みなんです。商店街にも幼馴染みが多くいて、そうした方たちのアドバイスを得ながら、熱を込めて書きました。

道後温泉を書くからには、ここに行ってみたい、これを食べてみたいと思ってもらえるように書くべきだと思ったんです。

この作品は、シリーズ化を考えています。三千年の歴史を持ち、聖徳太子も歴代天皇も訪れ、子規も漱石も暮らした街ですから、明治・大正・昭和編も書けるかもしれない(笑)。雛歩の今後にも期待してください。(取材・文/砂田明子)

『週刊現代』2019年11月2・9日号より