ベルリンの壁崩壊から30年、「東西ドイツ統一」は夢のままなのか

11月9日の「熱狂」と期待外れの現状
川口 マーン 惠美 プロフィール

30年経っても埋まらない「溝」

ただ、この熱狂は長くは続かなかった。翌1990年10月、ようやくドイツの統一が叶ったころには、すでに東西のドイツ人の間には深い溝ができていた。

東ドイツの惨状は、西ドイツの人々の想像を超えていた。産業施設は老朽化し、ハイテク時代に使える代物ではなかった。そのうえ、空気も水も土壌も、すべて汚染されており、結局、インフラを整備し直すだけでも膨大な経費がかかった。

 

そのうち旧東ドイツには、素晴らしいアウトーバーンや、立派な公民館や、最新の電話回線などが完成したが、だからといって産業が活性化されるわけではなかった。東はだんだんザルのようになっていった。

しかし、ドイツ政府は、統一で増税はしないと宣言していたため、増税ができず、1991年、1年の予定で、所得税の5.5%の額が「連帯賦課金」という名で徴収されることになった。何のことはない、税金が名前を変えただけだが、この「連帯賦課金」を、ドイツの納税者は統一後29年が過ぎた今も、相変わらず徴収されている。統一の道はとても長い。

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6月、ミュンヘンの有名な経済研究所、ifoが発表したところによれば、現在の旧東独地域の人口が、1905年の水準にまで落ち込んでいるという。一方、旧西独地域の人口は過去最高だ。当然、経済の東西格差も大きい。