ベルリンの壁崩壊から30年、「東西ドイツ統一」は夢のままなのか

11月9日の「熱狂」と期待外れの現状
川口 マーン 惠美 プロフィール

9日の朝、慌てて「旅行法案」に再入国を認める旨が付け足された。

とはいえ、これは、ビザの取得が容易になる程度の改革でしかなかった。なのに、この中途半端な「旅行許可に関する出国規制緩和法」が、その日の午前中、大した審議もなされぬまま、上の空の議員たちによって可決された。

その夜7時、政府のスポークスマン、シャボフスキーが記者会見を行った。

〔PHOTO〕gettyimages

もっとも、彼は日中の議会に出席していなかったため、詳細を知らなかった。そのため、記者会見での説明はあやふやになり、「この法律はいつから発効か?」という記者の質問に、焦ったシャボフスキーは、「私の持っている情報が正しいなら、即刻だ」と答えた。

 

ドイツ人を豹変させた「熱狂」

この「大いなる勘違い」で、その夜、歴史は回り始めた。記者会見をテレビで見ていた東ベルリンの市民が、じっとしていられなくなり、まもなく壁の検問所に集まり始めた。

8時になると、今度は西ドイツの国営放送が、シャボフスキーの言葉をトップニュースで報じ、すると、西ベルリンの人々も壁に向かって集まってきた。

東ドイツの私の知人は、この夜、何も知らずにコンサートを聴きに行った。車でベルリン市内に入ったとき、異常に人が多いので不思議に思ったという。特に、ベルリンの検問所の一つ、チェックポイント・チャーリーに繋がる道で、東ドイツの国産車であるトラバントが数珠繋ぎになっていた。

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チェックポイント・チャーリーは、外国人のための検問所だ。何か変だと思いながら、ようやくコンサート会場に着いて幕が開くのを待っていたら、舞台に総支配人が現れて、「国境が解放されるかもしれないという特別な夜、予定通りコンサートにおいでくださったことに深く感謝します」と挨拶をした。そこで、彼は初めて外の騒動の意味を知った。