中国「教授拘束事件」の意味…内外の研究者に及ぶ管理・統制

関係「改善」とともに進む対日強硬策
川島 真 プロフィール

歴史学の「党史化」問題と歴史戦

拘束されたと思われる国立大学の教授は中国近現代史の研究者である。歴史研究者が「現実」とはあまり関わらないというのは、中国には当てはまらない。

中国では、ある意味で、歴史こそが現実である。中国共産党政権の正当性の根拠の1つが歴史にあり、「正しい歴史」こそが学校で教えられ、メディアで流され、そして出版物に反映されるべきものである。

 

それでも中国では実証史学が発展してきたし、一定の統制があっても「自由」な空間はある程度は存在していた。

しかし、習近平政権下で統制は強化された。特に、近現代史であれば国家の歴史よりも共産党の「党史」が重視される傾向が強まった。

特に共産党が1921年に成立したことから、中華民国のあった民国期のうち、共産党のあった時代の歴史(1921-1949)、特に抗日戦争史(日中戦争史)の歴史言説は敏感度を増している。中国の教科書では、抗日戦争期が1937年ではなく、1931年に始まったと修正されたほどである。

この十数年、中華民国史(1912-1949)の研究は大いに進展してきた。台湾で国民党や中華民国の史料が大量に公開され、さらにアメリカで蔣介石日記が利用できるようになると、中国の研究者が大挙して閲覧に訪れた。

これにより、実証研究が一層進み、例えば1931年の満洲事変から1937年の盧溝橋事件に至る過程の蔣介石の苦渋や選択が明らかになり、従来の共産党史にあるような、蔣介石が日本との正面戦争を避けたことは批判されるべきで、1936年の西安事変でやっと蔣が目を覚ましたと言った議論は必ずしも妥当ではないことが明らかになった。

だが、そうした蔣介石日記や中華民国、国民党の文書を利用した研究は、中国国内では共産党の歴史観とは相容れない「歴史虚無主義」に基づく研究だとして強く批判され、批判を受けた研究者は自己批判をしたり、研究の方向性を修正することを迫られるようになった。

だが彼らは必ずしも拘束されたわけではない。

今回拘束されたとされる歴史研究者は、まさにこの日中戦争期の研究を、中華民国、国民党文書、蔣介石日記や当時の政治家、軍人の個人史料を用いて、極めて精緻に明らかにしている研究者だ。

その著作や論文で示される「史実」は、中国共産党の党史からすれば危険な存在である。しかし、だからと言って拘束に至るのか、国内基準と比べても判然としない。

中国は国家としての歴史観、そして共産党の党史を国内で徹底させることに余念がない。ただ、これは国民国家であればよく見られることだ。

だが、中国は日本との歴史認識問題や、台湾との歴史観をめぐる相違もあって、対外的に自らの歴史観が正しいということを広める歴史戦を展開していることは指摘しておきたい。

英語をはじめとする外国語で「正しい」中国史を広め、海外の「新しい」研究に基づく都合の悪い歴史言説があまり中国の国内に入らないようにする、ということがその基本だ。その上で、国際組織などを通じて、国際社会に自らの歴史言説が正しいことを認めてもらう、ということを行なっている。世界歴史遺産や世界の記憶などはその重点工作対象だ。

中国から見た場合、この歴史戦において障害になる存在の1つは海外の中国史研究者だ。その海外の中国史研究者、中国研究者の口と筆をいかにして管理、統制するかということが中国にとって大きな課題だ。

中国国内で公開する史料を制限し、公的に編纂された史料集を利用させ、それに外れた研究者は国内のみならず、国外の研究者をも警告、批判していくということについて、1歩を踏み出しつつあるのではないか、というのが今回の拘束事件から得られる1つの所感である。

今回の事件により、今後、日本の中国(史)研究者は中国に行くことを躊躇し、行くものは中国の意向を意識して文章を書くようになるかもしれない。一連の学会や研究組織の声明や抗議はこうした懸念や不安を背景としているのだろう。