深海で日本海軍の空母発見!奇跡の生還者たちが語ったあの海戦の真実

今日、映画「ミッドウェー」が全米公開
神立 尚紀 プロフィール

脱出不能な機関科員たちが歌う君が代が聞こえた

「加賀」の被弾から2分後、「赤城」「蒼龍」にも相次いで敵急降下爆撃機が投下した爆弾が命中した。

機動部隊旗艦「赤城」の被弾は2発で、爆撃そのものによる被害は比較的少なかったが、1発は後部飛行甲板を貫いて下甲板で爆発し、舵機の故障を引き起こした。やがて火災が、敵機動部隊攻撃のため、格納庫内に用意されていた九七艦攻に引火、誘爆を起こし、大火災となる。

「蒼龍」も、「加賀」「赤城」と同様の運命をたどった。「蒼龍」偵察機分隊長・大淵珪三(本島自柳)大尉は、索敵機の敵発見の一報を受け、続報を得るべく発進準備をしているところに爆撃を受け、爆風で飛ばされて転倒した。幸い雨衣をつけていて、露出部分がなかったために負傷は免れたが、雨衣の背中は黒焦げになっていた。

初弾の命中が7時25分。3発の命中弾が艦内の誘爆を呼んで、「蒼龍」は大火災となった。7時45分、艦長・柳本柳作大佐は「総員退艦」を下令した。

ミッドウェー海戦で敵機の攻撃を受ける空母「蒼龍」(米軍撮影)

最初に沈んだのは「蒼龍」である。生存乗組員は午後3時までに、駆逐艦「濱風」「磯風」に移乗を終えたが、4時12分、「蒼龍」は艦首を上げ後部から沈んでいき、8分後、水中で大爆発を起こした。柳本艦長は、艦と運命をともにした。

「加賀」は、生存者を救助したのち、味方魚雷で処分されることになった。吉野は語る。

「『加賀』は飛行甲板の位置が高いので、とてもそこから飛び込む勇気はない。私は外舷を伝って、なんとか上甲板まで下りました。対空機銃のポケットには肉片が飛び散り、焼け焦げた死体がものすごい臭気を放っていた。誘爆はなおも続いています。やがて、艦は速力がなくなり、停止しました。駆逐艦が右舷(みぎげん)100メートルまで近づき、停止して『加賀』乗組員の救助を始めるのが見えた。私は意を決して海に飛び込み、駆逐艦に向かって泳ぎ始めましたが、また敵機が来たのか、駆逐艦は急に動き出し、高速で視界から遠ざかっていったんです。仕方なく、浮いていた木片につかまって漂流し、ふたたび現れた駆逐艦に救助されたのは約2時間後、駆逐艦は『萩風』でした。

夕日の沈む頃、『萩風』は『加賀』に近づきました。『加賀』の、艦首から艦尾にかけての飛行甲板と格納庫は焼け落ちて、ほんの数時間前までの威容はまったくありません。それでも上甲板以下はしっかりしていて、元は戦艦として建造された面影をとどめていました(これは、〈船体は比較的当時のまま残っているように見え、副砲も確認された〉という調査チームの発表とも符合する)」

吉野を救助した「萩風」と「舞風」、2隻の駆逐艦が、2本ずつの魚雷を「加賀」に放った。このとき、静止状態の、しかも味方艦を処分するのに、「舞風」の魚雷は命中しなかったという少々お粗末な余談が残っている。午後4時26分、「加賀」沈没。救助された「加賀」乗組員たちは、挙手の礼でこれを見送った。すでに単なる鉄塊と化して沈んでゆく「加賀」の姿に、吉野は涙も出なかったという。

「ちょうど動物が、我が子が死んだらその死骸には目もくれなくなるような、そんな感じだったと思うんですよ。沈んでゆくのを見ても、そのときは何の感情も湧かなかったですね」

 

「赤城」は、機関部には損害はなかったが、鎮火の見込みがなく、夜になって艦長・青木泰二郎大佐が「総員退艦」を命じた。

「赤城」艦爆隊搭乗員・古田清人(当時一飛曹)の回想によると、燃え残った前部飛行甲板に集合した500名足らずの乗組員に、青木艦長は、「艦と運命をともにするという考えは捨て、最後の最後まで命を大事にして日本に帰れ」と訓示した。

ただ、艦の底にあって脱出できない機関科員は見殺しである。退艦直前に「赤城」の艦橋にいた零戦搭乗員・岩城芳雄一飛曹(のち戦死)は、海戦後、後輩の佐々木原正夫二飛曹に、「機関科員が従容として歌う『君が代』が、伝声管から聞こえてきた」と涙ぐみながら語ったという。

敵機の攻撃を受ける空母「赤城」(右。米軍撮影)

カッター(ボート)を降ろして、救助可能な生存者の退艦が終わると、駆逐艦「嵐」「野分」「萩風」「舞風」から1本ずつの魚雷が発射され、翌朝、「赤城」も海面から姿を消した。 たまたま、魚雷回避のため転舵して、他の3隻と離れていたために無傷で残った「飛龍」は、ただ1隻で反撃を試みた。