深海で日本海軍の空母発見!奇跡の生還者たちが語ったあの海戦の真実

今日、映画「ミッドウェー」が全米公開
神立 尚紀 プロフィール

敵機をことごとく撃墜して、周囲を見渡すと!

昭和17年6月5日――。

「蒼龍」零戦隊の原田要一飛曹はこの日早朝、上空哨戒の戦闘機小隊長として、2機をしたがえ、暁闇をついて発艦した。上空からミッドウェー島攻撃隊の発進を見送り、所定時間を終えて一旦着艦、艦橋脇の飛行甲板で朝食の握り飯を食べ始めたとき、対空戦闘のラッパがけたたましく鳴り響いた。原田は語る。

「落下傘バンドをつける間もなくふたたび愛機に乗り発艦すると、水平線すれすれに敵機の大群が見えました。これは雷撃機だと直感、一発も命中させてなるものかと、各艦から発艦した戦闘機は一斉にそれに襲いかかりました。当時のわれわれの常識では、艦にとっていちばん怖いのは魚雷、ふつう、250キロ爆弾ぐらいで軍艦が沈むことはない、ということになっていましたから、急降下爆撃機のことはまったく念頭にありませんでした」

「蒼龍」零戦隊・原田要一飛曹(のち中尉)。ミッドウェー海戦では機動部隊の上空直衛にあたった(右写真撮影/神立尚紀)

零戦隊は敵雷撃機のことごとくを撃墜、わずかに放たれた魚雷も巧みな操艦により回避される。弾丸を撃ちつくした原田は敵襲の合間を見て着艦。愛機には、敵の機銃弾で無数の弾痕があり、使用不能と判断されて即座に海中に投棄された。一服する間もなく、またも敵襲で、予備機に乗り換えて発艦。敵はふたたび雷撃機、原田は列機とともに敵機の後上方から反復攻撃をかける。

「そのとき、三番機の長澤源蔵一飛(一等飛行兵)機が、私の目の前で敵雷撃機の旋回銃の機銃弾を浴び、火だるまとなって墜落しました。あれは、私の誘導が悪かった。私が1機を撃墜して次の敵機を狙うさいに、内地で訓練している時と同じようにスローロールを打って連続攻撃をかけようとして、二番機、三番機もそれにならってきたんですが、それが敵に大きく背中を見せる形になってしまった。それで、敵が私を狙って撃った機銃弾が、同じコースを遅れて入ってきた列機に命中したんです。……本当に、列機がやられるのを見るほど、辛いものはありません」

長澤機の最期を見届けた原田が、気を取り直して周囲を見渡すと、そこには信じられない光景が広がっていた。

つい先ほどまで威容を誇っていた「赤城」「加賀」「蒼龍」、3隻の空母から空高く立ち上る火柱。零戦隊が海面すれすれの敵雷撃機を攻撃している間に、上空から襲ってきた急降下爆撃機の投下した爆弾が、相次いで命中したのである。各艦の格納庫には、敵艦隊への攻撃のために準備された飛行機や、魚雷、爆弾がひしめいていて、それらが次々に誘爆を起して大火災になった。

最初に被弾したのは「加賀」である。

 

燃料切れで着水「まさか助かるとは思わなかった」

索敵任務を終えた吉野治男一飛曹の九七艦攻が、味方艦隊を水平線上に認める位置まで帰ってきたところ、はるか前方を、小型機が一機また一機、低空を東の方向に飛んでゆくのが見えた。味方機ではない。吉野は胸騒ぎを感じた。

「『加賀』の上空に着いて着艦の発光信号を母艦に送ると、間もなく着艦OKの旗旒信号があり、着艦しました。7時5分頃と思います。着艦できたということは、この時点では飛行甲板は空の状態ということです。報告のため艦橋の下まで行くと、艦橋から飛行長が、『敵機の編隊が近づいている。報告は後にしてくれ』と大声で言うので、そのまま艦の後部、飛行甲板の下にある搭乗員室に向かいました」

搭乗員室に入るところの、飛行甲板脇のポケットに、仲間の搭乗員が大勢出ていた。口々に、吉野が着艦する直前に敵雷撃機の攻撃を受けたが、敵の雷撃技術は拙く、魚雷は全部回避したこと、敵機のほとんどを上空直衛の零戦が撃墜したことなどを、興奮気味に話してくれた。

「搭乗員室に入って、飛行服を脱いでいると、突然、対空戦闘のラッパが鳴り響き、搭乗員室の真下にある副砲(空母には主砲はないが、「赤城」「加賀」では、舷側に設けられた20センチ砲を、戦艦の名残で慣習的に「副砲」と呼んでいた)が、轟音を上げて発射されました。敵雷撃機の来襲です。私は、飛行服の下に着ていた白い事業服のまま、あわてて先ほどのポケットに飛び出しました」

このとき、敵雷撃機に向け発射された「副砲」が、今回の探査で映し出された「加賀」の20センチ砲である。この砲は、舷側後部の低い位置に装備され、本来は敵水上艦艇に向けてのものだったが、吉野の回想から、低高度を飛ぶ雷撃機への対空射撃にも使われたことがわかる。

対空機銃は懸命に応戦している。すると、機銃指揮官が突然、指揮棒を上空に向けて、何かを叫んだ。吉野が見上げると、敵急降下爆撃機が雲の間から突っ込んでくるところであった。初弾が、艦橋に近い飛行甲板に命中した。ときに、7時23分。

米急降下爆撃機・ダグラスSBDドーントレス。ミッドウェー海戦で、4隻の日本空母に致命傷を負わせた(日本海軍の敵機識別写真より)

艦橋が炎に包まれ、艦長・岡田次作大佐は即死したと伝えられるが、このとき、艦橋の近くにいて、危うく難を逃れた艦攻搭乗員・森永隆義(当時飛曹長)は、「天皇陛下万歳」と叫ぶ艦長の声を確かに聞いたという。

「ほんとうですか?」

と思わず聞き返した私に、森永は、

「信じないならそれで構わない。でも、私の耳には、あのときの艦長の声がいまでも残っています」

と答えた。

「加賀」には4発の爆弾が命中、そのうち1発が艦橋下の搭乗員待機室を直撃して、そこにいた大勢の搭乗員が戦死し、あるいは大火傷を負った。ふたたび吉野の話。

「私は、ポケットの隅にうずくまりました。伏せていたから、2発め以降はどこに命中したかわかりません。格納庫内には、第二次攻撃に備えて燃料を満載した艦攻、艦爆と零戦の一部があり、大火災になりました。さらに艦攻には魚雷が装着され、庫内には信管をつけたまま取り外した800キロ爆弾、さらに艦爆には250キロ爆弾が搭載されていましたから、これらが次々と誘爆を起こした。誘爆の凄まじさは想像を絶するもので、爆発のたびに『加賀』の巨体は大きく揺れました」

ミッドウェー海戦における各艦の戦闘記録は、艦が沈没したこともあって不完全なものである。そのため、「加賀」の戦闘行動調書には記載がないが、このとき「加賀」からは、ミッドウェー島占領後の駐留部隊となるべく便乗していた第六航空隊の佐伯義道(当時一飛曹)が敵機の邀撃に参加している。

ミッドウェー島占領後の進駐部隊として空母「加賀」に便乗していた佐伯義道一飛曹(のち少尉)。敵機の邀撃戦に参加した(右写真撮影/神立尚紀)

佐伯は、開戦当初は台南海軍航空隊の一員としてフィリピン、東南アジアで戦い、米極東陸軍司令官・ダグラス・マッカーサー大将がフィリピンを脱出するため搭乗予定だった輸送機を、諜報により地上銃撃で炎上させ、そのために戦後、進駐軍に行方を追われたというエピソードが残っている。佐伯の回想――。

「南方から木更津の六空に凱旋して、ミッドウェー海戦のときは『加賀』に便乗していました。上がったのは邀撃戦です。私は、急降下爆撃機が来る上空のほうで空戦をしました。何機か墜としたと思うんですが、断雲で視界が悪い上に、敵機が次々とやって来るので撃墜を確認している暇はありません。そのうち、ふと下を見ると母艦が全部燃えてるわけですよ。これは負けたな、と。やがて燃料が切れたので海の上に着水しましたが、まさか助かるとは思わなかった。

波間に浮かびながら、いつの間にか眠っていました。夕方、何か物音がすると思って目を覚ましたら、すぐ近くに駆逐艦がいて、甲板からロープを垂らして、つかまれ、つかまれ、と声をかけられました。よじ登る力も残っていなかったので、ロープごと引き揚げられ、飛行服や時計、持っていた短刀など、全部駆逐艦の甲板上に載せて、ふんどしまで着替えさせてもらいました。いま思い出しても、悪い夢でも見ていたかのようです」