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たった一つのツイートが米中「不毛な論争」を生む面倒な時代になった

ザッカーバーグと「表現の自由」

グローバル・メディアをめぐる困難

間近に迫った2020年代を見据えた時、ソーシャルメディアならびにストリーミングからなるグローバル・メディアの扱いの難しさが際立ってきている。

グローバルということは国境を越えること、法域を越えることを意味している。もっとも、この「越境」というだけのことならば、衛星放送の時代から検討されており、特に目新しいものではない。だが、今、問題なのは、さらにもう一歩踏み込んで、ダイレクトに国家政府と一個人が仲介者なしで向き合ってしまうような事態が生じていることだ。

ウェブ上の対象に視線を合わせれば、実は、その対象からこちらも見据えられている、という事態。これは、手元に一方的に共通の情報が届けられる放送(ブロードキャスティング)のときにはなかったことだ。まずはこちらから情報を取りに行かねばならならいウェブでは、その時点でこちらも覗かれる。それは「ストリーミング=放流」においても変わらない。

2019年10月17日、マーク・ザッカーバーグはジョージタウン大学で講演した。その中で改めてFacebookの役割が、人びとにヴォイス(声)を与えること、ならびに、その結果、人びとが自由に集えることにあることを強調した。

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この基本姿勢が確認された背景には、Facebookがこの9月下旬、ポリティカル・アド(政治広告)については、その内容の真偽の検討はしないと発表したからだ。来年の大統領選を前にして、政治家が流す広告については、広告の内容が虚偽か否かを判断するファクトチェックの工程を行わず、そのままアップし続けるという決定をした。

仮に政治家がウソやデマ、あるいは明らかに誤解を招く表現を混ぜた広告を流したとしても、その内容の是非は、あくまでもそのアドを実際に制作しアップした当人たちに求められる。またその内容の判断は受け手に委ねられる。そうしてファクトチェック漏れの非難がFacebookに及ぶのを回避する。

Facebookは偽情報(misinformation)の流布から利益を上げている、という批判に対して、それでも検閲を実施するよりはマシだ、というスタンスをとった。

この講演から4日後の10月23日、ザッカーバーグは下院公聴会に呼び出された。議題は、Facebookが導入予定の暗号通貨Libraについてのはずだったのだが、委員会の議員からの質問は通貨問題にとどまらず、Facebookの活動全般に及び、まるで足下の社会問題の元凶はすべてFacebookにある、とでもいうかのように徹底的に追及された。その中で、件のポリティカル・アドの扱いについても、AOC(アレクサンドリア・オカシオ゠コルテス)から厳しい質問が寄せられた。

 

AOCが厳しい姿勢をとったのは、トランプ大統領のキャンペーンチームが来年の大統領選に向けて、バイデン前副大統領など対抗馬となる民主党候補者たちについて根拠のない情報を載せたアドをFacebook上で流していたことがある。民主党からの当該アドの削除要請にFacebookは、「表現の自由」を理由に応じなかった。ちなみに同じアド(映像)は、CNNでは放送を取りやめている。CNNは事実無根と判断した。

そのような議会での追及も影響を与えたのか、10月28日には、今度は250名あまりのFacebookの社員が経営陣に向けて、反論のレターを送っている。これは真実ではない、嘘だ、偽情報だとわかっていながら自分たちが扱うメディア、すなわちFacebookにアップし続けることへの良心の呵責からでた動きだ。明らかに誤った情報であるにもかかわらず放置したままでよいのか。こうした疑問は、直接、個々人の社員のモラルを直撃する。結果としてザッカーバーグはFacebookの内外から、彼の人間性に対する疑問、さらには非難を受け始めている。