グレタ・トゥンベリ氏、国会デモ…「若者の社会運動」賞賛するリスク

若者を「代弁者」にしていないか
富永 京子 プロフィール

特定の属性を持つ参加者が、社会運動において評価されることを論じた研究は数多くある。そうした研究は多くの場合、ベテランの活動参加者や専門家、年長者がその貢献を評価されることにより、彼らが運動内においてさらに発言力や影響力を高めていく過程を指摘してきた(Juris et al. 2013; Haug 2013など)。それに対して若者が賞賛されることは、若者自身の社会運動における発言力や影響力を高めるとは限らない。

このような若者たちの扱われ方を踏まえると、社会運動内における若者や弱者に対する「賞賛」には、社会運動に従事する人々や、社会運動を肯定的に報道するメディアの、他者をコントロールして、自分の主張の代弁者にしたいという眼差し、あるいはそこまで行かなくとも、自身のおこなってきた活動を「承認」して欲しいという欲求が含まれているのではないか。

〔PHOTO〕iStock
 

「若者の社会運動」を「普通に」評価するには?

筆者は、社会運動に従事する若者自身が、「若者の社会運動」として自己呈示することを否定する立場では全くない。特にトゥンベリ氏が行っているような環境正義に関わる課題は、年長者に比して、若者の方が将来的に被る影響が大きいからこそ「若者の社会運動」として呈示する必然性があったと考えられるだろう。

注目されることそのものは、もちろん悪いことではない。しかし、その注目の中で、その人自身の意見が尊重されているかどうかを、「賞賛」を通じてもう一度検討すべきなのではないか。

それに対して、年長者が若者による運動の社会的意義を認め、応援するのはもちろん大事なことだ。メディアや専門家、知識や経験を持つ賛同者・支援者がいなければ社会運動は影響力を発揮しないからこそ、資源が相対的に少ないであろう若者たちをサポートする必要がある。

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