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グレタ・トゥンベリ氏、国会デモ…「若者の社会運動」賞賛するリスク

若者を「代弁者」にしていないか

「主張の中身」より「属性」が注目される

9月に、スウェーデンの環境運動家グレタ・トゥンベリ氏の国連スピーチが話題となったことは記憶に新しい。

彼女は10月には北欧理事会(Nordic Council)による環境賞を授与されることになったが、自ら辞退し、逆に北欧諸国にさらなる環境保護を呼びかけた。今月に開催されるスペインでのCOP25にも参加を予定している。今年の国際社会を語る上で重要人物の一人といっていいだろう。

グレタ・トゥンベリ氏〔PHOTO〕Gettyimages
 

とりわけトゥンベリ氏が国連でのスピーチを機に激しいバッシングの憂き目に遭ったことは多くの人が知るところだろう。こうしたバッシングについては、「現代ビジネス」内でも原田隆之氏の記事にまとめられている。

バッシングの内容は、例えば彼女の年齢や障害、それに付随する「勉強不足」「大人の操り人形」といった、直接的間接的に彼女の生まれついての属性を批判するものが多く、彼女の議論の内容や中身に対するものよりも目立つ。

こうした「中身より属性」という評価のされ方は、日本の安保法制に対する抗議行動を担ってきた団体の一つであるSEALDsや、香港の雨傘運動、台湾のひまわり運動など、「若者の社会運動」が辿ってきた道とも言える。

社会に対して声を上げる人々が性別や年齢、職業といった点においてどのような属性を持っていようと、それらの「自分では変えられない要素」に着目した批判を行うことは当然、望ましくない。