親が駄目になったから駄目になった

―その麻布生の矜持がいまは引き継がれていないと。

宮台 男子校の場合には、親が駄目になったから、駄目になった。僕らのころには、学園紛争で学校と真正面から対立している中高生に対して、それを支持している教員が半分いて、さらにそちら側に立つ親が半分もいたっていうことが、やっぱりすごいことなんですね。いまなら絶対にあり得ない。そういう親がいなくなったんで、麻布はもう麻布ではなくなってしまったって。形だけ。ナンパ系だっていうことを除いてはまったく完全に形骸化しちゃったんですね。

―「髪の毛みんなカラフルにしてて自由でいいですよね」とかそういう部分だけ喜々として語られちゃうと、「あれっ?」ていう感じが私にもあります。では、いまの時代性を踏まえたところで、男子校の存在意義ですとか、これからの男子校が男子校であり続けるための課題みたいなことは何でしょう。麻布に限らない話で。

麻布は私服で髪型も自由。しかしその伝統は「生き方の自由」の中のひとつだったはずだ Photo by iStock

宮台 それはとても難しい。何で難しいかというと、共学校の中では女子の視線がいつもブレーキとして働くという点で、逆に男子校だと過剰さを追求できることがメリットだったのですが、たださっき言ったように親が変わってしまった。女子がいなくても親がブレーキをかけてしまうので、男子校の優位性はほとんどなくなっているんですよね。男子校の価値が再び高まるかどうかは親次第だと思います。親次第っていうのは二つの意味があって、どの男子校を選ぶのかということと、その男子校のなかでまだほそぼそと残ってるかもしれない過剰さへのゲームをどれだけ支援できるのかっていうことにかかっているのかな。

―いまは親が強いから、男子校だろうが共学校だろうが関係ないと。

宮台 それの裏側から言うと、僕、震災後2年半ぐらい恋愛性愛ワークショップをやって思ったことだけど、いま、ナンパ系は9割がクズなんですね。それは数を競う地位達成、あるいは数を競うというゲームに勝利するだけ。そういう自意識のゲームのなかにいる連中が大半なんですね。それを考えると、じゃあそういう自意識系のやつがディスられるような、共学校のほうがいいという可能性もあるんですね。男子校選ぼうが共学校選ぼうが大差ない方向になりつつありますね。

―男子校にしても共学校にしても、それぞれの良さがなくなりつつあり、均一化している。