2019.11.17

「煩悩って何ですか?」田原総一朗が玄侑宗久さんに聞いてみた

宗教者との対話②玄侑宗久
田原 総一朗 プロフィール

「煩悩」とはなにか

田原:今、日本では「ひきこもり」が非常に重大な問題になっていますね。政府の発表では約60万人だと言われていますが、実際は200万人以上いると言われます。「生きるとは何か」ということに、まったく目標をなくしたてしまった人が200万人もいることだと言ってもいいでしょう。本当ならば、こういう人たちに宗教が手を差し伸べなければいけません。

玄侑:ほんとうにそうですね。自閉的な在り方を認めず、コミュニケーションを強要する世の中の状況も問題だと思います。私は近年では、移民の問題を憂慮しています。今後日本は移民をたくさん受け入れるようですし、政府も今後受け入れを促進していくでしょうが、社会的にも文化的にも、そして宗教的にも、移民を受け入れるための対応が全くできていない。

たとえば日本に働きに来たイスラム教徒の方が日本で亡くなったらどうするのか、という点をぜんぜん考えていないのです。イスラム教徒というのは、絶対に火葬は認めませんから、日本で亡くなった場合、その対応が大変難しいのです。

田原:火葬は認めないんですか。

玄侑:駄目です。彼らは、できれば24時間以内に白い布にくるまれて、土の中に埋葬されたいんです。ところが、日本の法律では、24時間経たないと埋葬できないわけです。

田原:イスラム教徒が亡くなったあと、どうするんですか。

玄侑:現在は、山梨県などに引き受けてくださるお寺があって、24時間以内は無理でもそこに埋めてもらっているようです。現場レベルではなんとかそんなふうに対応しているわけですが、今や日本は、たくさんの外国人労働者を入れようとしているのに、死んだ場合のことを考えていないんですよ。

田原:そう。だけど、じゃあ、帰すのかと。できっこないですね。だから、この国は、その基本が全部、曖昧なんですよ。

 

玄侑:宗教的観点もありません。特に、イスラム教というのは、相当違います。スンナ派であれ、シーア派であれ、その信者を受け容れるということは一大事ですよ。本当なら相当、礼拝のことや服装についてもいろいろなことを準備しなくてはならないはずです。

田原:埋葬に関して、キリスト教とイスラム教は、基本はどこが違うんですか。

玄侑:キリスト教は、火葬を容認しました。日本は、世界一の火葬国です。信教の自由が原則ですから、「東京都民は火葬しか駄目」という決まりは作れませんが、「この墓地は火葬骨しか埋葬できません」という決まりは作れるわけです。文書のうえではうちなども土葬を認めないわけじゃありませんが、実際問題として土葬で埋葬できる墓地を探すのは大変でしょうね。

田原:そういう問題がたくさんあるということですね。さて、仏教について伺いたいのですが、人間というのは、例えば、有名大学へ入りたい、有名な企業へ入りたい、偉くなりたい、と思いますね。これを仏教では、煩悩と言うのですね。持ってはいけない、と。

玄侑:まぁ、そうですね。

田原:でも、逆に言うと、人生は煩悩があるから楽しいのではないかと思います。どうですか。

玄侑:三界……「欲界・色界・無色界」と言いますよね。「寝たい・食べたい・抱きたい」という、これが欲界です。それが物欲に変換されて、色界になりますよね。物欲も、こちらの初期の欲望も解消されたとしても「こういう欲を持ちたくない」という欲も、無色界の欲なんです。

田原:無色界の欲……そんな欲があるのかな。

玄侑:ありますよ。

田原:やはり、欲を持ちたいんじゃない? 

玄侑:例えば、名誉欲も無色界の欲ですが、とにかく三界に生きるかぎり「どこまでいっても欲を逃れられない」という意味合いだと思うんですよ。

田原:それが生きがいなんじゃないですか。

玄侑:結局、欲とは生命エネルギーそのものですから。要するに、自分に都合が悪くなった状態を煩悩と呼んでいるだけです。「戒」「定」「慧」を仏教では三学といって重視しますが、 最初の「戒」がないと、生命エネルギーというのは四方八方に散るわけです。この状態を煩悩と呼ぶのだと思います。

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