山口組ナンバー2「緊迫の出所祝い」で司組長が吐き捨てた「ひと言」

「七代目就任」に暗雲か…?
時任 兼作 プロフィール

「あとで考えてみれば、そもそも会場の選択からして波乱含みだった。品川駅で見られた部下に対する厳しい姿勢は、会場変更に関することが原因だったのだろう。

総本部が使えない以上、出所祝いは六代目山口組の中核組織であり、組長の出身母体でもある弘道会の主要な事務所で開くのが筋だが、高山はそれを拒否。弘道会が結成される以前に自身が所属していた組織であり、極道としての出発点であった佐々木一家を選んだ。

おそらく高山は自らの『原点回帰』を目指しているのだ。自分の足で立つ──つまり、暗に七代目への就任を宣言するものだと見られたため、祝宴が始まる前から波紋を呼んでいた」(前出の警察幹部)

 

高山氏と佐々木一家の縁

高山氏は1967年、三代目山口組の二次団体・弘田組傘下にあった佐々木組組長・佐々木康裕氏と縁を持ったことから渡世入りした。1969年5月、弘田組傘下の組事務所が襲撃を受けたことへの報復戦に高山氏も加わり、懲役4年の刑を受けた。

この功績により出所後、高山氏は佐々木組若頭に就任。1974年には自らの組織として高山組を結成した。そして1984年に四代目山口組が発足し、弘田氏が引退すると、司氏が弘田組の地盤を引き継ぎ弘道会を創設。高山氏は若頭補佐となった。なお、菱心会は1994年に佐々木氏が死去したのち名称を佐々木組に戻して弘道会傘下に復帰。その後、佐々木一家と改称し、現在に至っている。

1989年に若頭に昇格した高山氏は、2005年には二代目として弘道会を継承し、五代目山口組若頭補佐にも抜擢された。さらに同年7月、山口組が六代目体制に変わると、8月には若頭に就任。司組長が12月に銃刀法違反の罪で収監されたのちは不在の組長に代わって組織運営を担い、弘道会による支配体制を強化した。

以来、2013年に恐喝罪の有罪判決を受け、2014年6月に懲役6年の実刑が確定して府中刑務所に収監されるまで、山口組の実務責任者として君臨。さらに獄中からも指示を出すなど、現体制を支えてきたと言われている。