築地の「カラスの餌」が豊洲で「希少部位」に! 驚きのマグロ消費史

「中落ち」にみる水産業復活のヒント
川本 大吾 プロフィール

ゴミとして運ばれる際、運搬中に「ターレ」などからこぼれ落ちたのだろうか、それとも故意に捨てられたのか、マグロの頭などが市場内の通路に無造作に置かれ、市場が静けさを取り戻す午後、カラスがついばむ光景も日常茶飯事。希少部位といった扱いではなかったことが思い出される。

ターレマグロを満載したターレ(旧築地市場)
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「ザギンでシースー」の最盛期

いったい築地時代から何が変わったのか──。

まず、マグロそのものの売れ行きが、以前とは大きく違っていた。遡ること30年ほど前。バブル経済期には、今とは比べ物にならないほど、マグロは「飛ぶように」売れた。「1日に1000万円以上の売り上げは珍しくなかった」と、ベテラン仲卸は懐かしそうに話す。

築地からほど近い東京都中央区、証券会社などが乱立する茅場町近くの寿司店では、店内で寿司を握ろうとしても、ネタがなくなるほど寿司の出前の注文が入った。「1日300人前以上の注文が頻繁に入っていたため、しゃかりきに寿司を作った。中でもマグロはネタの中心。トロや赤身は、築地でたくさん確保しておかないと、注文に応えられないから余計に仕入れていた」(店主)という。

 

銀座の街も接待やら何やらで、飲食店は好景気。「今日もザギンでシースーか?」と業界用語らしい言葉も飛び交う中で、寿司ネタの王道・マグロ人気は最高潮に達していた。その需要にあやかろうと、国内外で取れたマグロは「築地へ運べば間違いない」と、日本一の魚市場へ集められ、他にない高値を付けられながら、常に次の荷を待ち受ける状況だった。

築地混雑する旧築地市場内の通路
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マグロを巡るさまざまな壁

マグロを食べ尽くす浮かれた時代は、そう長くは続かなかった。

まず「日本は世界のマグロを絶滅に追いやっている」といった欧米を中心とした保護団体の「外圧」が、急激に大勢力となって立ちはだかり、ワシントン条約やマグロの国際機関で、保護策が話し合われたのは90年代初め。

すでに商業捕鯨が禁止され、捕鯨再開を求める日本の声も反捕鯨国に打ち消され「マグロをクジラの二の舞にするな」というのが水産関係者で常套句となっていた。マグロの資源管理強化を訴える風当たりが強まったのに加え、バブル崩壊による景気の低迷も重なって、次第にマグロ人気にも陰りが見えはじめたのだ。