社会復帰を急いだ理由

22歳という目標があったこと、努力をするほどに結果が残って成長を確認できたこと、それらは山田さんがここまで努力する理由ではあった。しかし実はもうひとつ大きな理由があった。

「自業自得かもしれないけど、正社員ではなかったことがひとつ『やらなきゃ』と思う大きな理由でした。契約期間だったから、労災がおりなかったんです。また、20歳になって10カ月くらいだったのですが、その間国民年金を払っていなかったので、障害者年金が下りなかった。ぼくは障害者一種一級ですが、一生障害者年金をもらえないんですよ。事故った時から、人生トータルで計算すると8000万円くらいの損をすることになって……けっこう笑えないぐらいで、母も色々やってくれたんですけどだめで、泣いていました。

足と手をなくしただけでも迷惑をかけているのに、親にお金の面でも苦労かけてるのかって。これからは親に払わせない、絶対自立するって心に決めました」

怪我をする前はわからなかった「親のありがたさ」を身をもって感じたという。母親と 写真提供/山田千紘

事故以来、一度も自宅に帰っていない。退院後はそのまま一人暮らしを始めた。

「視点を変えてみたんです。年金ってある程度の収入がある人はもらえないから、ぼくはそういう人になるしかないって。ちゃんと働いて、年金をもらえないくらい稼げるようになればいいんだって。だから1日1時間も無駄にできなかった。

だって不利じゃないですか。手と足がなくなっても、時間は平等ですよね。例えば、電車に乗ろうと思っても走れないから、間に合わなくて乗れないこともあるでしょう。でも言い訳できない。平等ですから。言い訳できないのならしない。だからこそ、時間は有限なので使い方を考えなきゃなって。そんな風に考えることができるようになりました」

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死ぬことしか考えられなかった時期から脱出したとき、山田さんはあることに気付いたという。

「最初に入院していた病院のベッドで、思ったんです。人はマイナスの数を数えがちだよなって。ぼく、ただ手と足がないんじゃないんですよ。それはマイナスの数え方。例えば、失恋した時って落ち込むじゃないですか。大事な人を失うわけですから。それって圧倒的マイナスだから数えがちでそこにしか目がいかない。でも、そういうことにも小さなプラスがあるはずで、たとえば彼女がいなくなった時に何がプラスになったかっていうと『自分ひとりの時間ができた』わけですよね。捉え方次第で変わってくるなら、ぼくはプラスを数えようって」