乙武洋匡さんが登壇した9月3日開催の超福祉展。そこで乙武さんに会いにきた青年、山田千紘さんは現在28歳。その彼が20歳のときに電車に轢かれ、右手と両足を切断せざるをえなかった記事を公開すると、多くの反響があった。「前向きになれるのがすごい」「残った左腕をどう鍛えるかと書いていたのに涙が出た」「応援しています」等々、山田さんを応援する声が後を絶たなかった。

前回は山田さんが右手と両足の三肢を失った時の話と、そこから前向きに考えるに至るまでを中心にお伝えした。今回は、山田さんがどうやってそこまで前向きになれるのか、そして義足でどのようにして歩けるようになったのかをご本人に語ってもらった。そこには、「マイナスでなくプラスを数える」という、私たちの目を覚ましてくれるような言葉があった。

山田さんが事故に遭ったときの記事はこちら

前向きな姿に多くの人が心を打たれた

初めて義足をつけたとき、嬉しくて泣いた

山田さんが終電間際の電車で、お酒に酔っていたわけではないにも関わらず意識を失って線路に転落、電車に轢かれる痛ましい事故に遭ったのは、2012年7月24日のことだった。絶望してはいられないと前向きにスイッチが切り替わった山田さんが最初にしたのは「義足歩行を身につけられる病院探し」。そして義肢装具士が常駐し、敷地内に職業訓練校もある埼玉の国立障害者リハビリセンターを見つけた。

「病院で最初に言われたのが『両足切断の場合、1年から1年半ぐらいかかる』ということでした。でも22歳で大学を卒業する友人たちが社会人になるときに、ぼくも社会に出たいと思っていた。1年半かかるとその入院生活だけでビジョンがクリアできない。じゃあ今までの人の事例はどうかわからないけど、今までの人の2倍か3倍やれば半年で終わるんじゃね? と思ったんです。むしろやる気があがりました」

10月9日、21歳の誕生日を迎えた約2週間後に横浜から所沢の病院に転院。そこから「採型」といって断端の形をとり、それぞれの足に合わせた義足作成にかかる。仮合わせをし、使い方を学び、義足がなくても移動できるように練習し、義足をつける前の「身体づくり」も行う。こうして、初めて義足を履いたのは、10月16日のことだった。

「義足は片方ずつ作るんです。最初は『下腿義足』といって、膝がある右足から作りました。少なくとも数カ月歩いていないので、嬉しくて泣いたのを覚えてます。義足を履いて立ち上がった瞬間に『おれこんなに背が高かったんだ』って。身長からは2センチ下げているんですが、それでも車椅子の目線からしたらすごく高くて。嬉しくて、『早く左足も作ってください!』とお願いしました。もともと身長は177㎝だったのですが、最初ちょっと高く感じたので、1㎝くらい下げてもらって、いま身長は176㎝です」

現在の山田さん。右足と左足の義足が異なるのは、切断箇所がことなるゆえだ 撮影/村田克己