日本の大手出版社に対する「戦争責任」追及、その知られざる実態

大衆は神である(74)
魚住 昭 プロフィール

反撃──自由出版協会の設立

3月5日、旺文社の社長・赤尾好夫は、出版界粛清委員会による審問の経過を記して、それを「人民裁判」だと批判した『所謂(いわゆる)出版戦争犯罪事件の中間報告』を刊行した。

3月15日には文芸評論家の木村毅(きむら・き)らが戦犯出版社追及問題に関し出版協会首脳部糾弾の文書をGHQほか各方面に配布した註(4)

のちに講談社五十年史のメイン執筆者になる木村が出版協会批判の中心人物として登場するのには訳がある。木村は前年の9月、言論界はこうすべきだという一文を書き、それを元アメリカ議会図書館日本課長の坂西志保(さかにし・しほ)に英訳してもらってGHQに差し出した。

これが日本の民間人から出た上申書の第1号だった上に、坂西の訳が素晴らしい名文だったこともあって、手から手に回され読まれて非常な評判になった。それで木村は何度か司令部の情報室に呼ばれて、日本の出版のことを聞かれた。

年明けの昭和21年、出版界粛清委員会の喚問が行われるようになり、戦争協力出版をした者は追放されるという噂が高くなった。木村は戦争中のそれらの社の出版活動は当然に厳しく批判されるべきだと思った。それに執筆した自分のことも痛切に反省した。が、この出版裁判は何ら資格のない者が加えるリンチだ、と考えて眉をひそめた。

 

以下は木村自身の回想である。

〈ところが三月になってからではなかったかと思う。突然司令部から呼び出しが来たので、行ってみると、そのときの出版の係はワズワースという大佐で、英語学者の宮田峰一(みやた・みねいち)氏が通訳兼参謀のようにしてついていた。

「木村君、出版裁判をあのままにしておくと日本の大出版社は軒なみ潰される。しかし、ああいう出版社も国家にとっては必要だ。これが存続するためには、それらの出版社は、組織を作ってあの出版裁判に対抗しなくてはならない」といって、「講談社、新潮社、旺文社、岩波、小学館などを訪れて相談してくれるように」

といわれた。僕はそれらの本屋を回ったが、主人は疎開して大抵留守で、支配人のような人に会い、その旨を伝えた。組織を作る、作らぬは、彼らの勝手だ。これで、僕の託された任務は済んだと思うから、僕は折からの総選挙で、友人応援のため千葉県に行った。ところが、驚いたことには僕の旅行中に、東京では、自由出版協会というものができて、会長は博文館の大橋進一(おおはし・しんいち)氏、理事長は木村毅、とれいれいしく新聞に載っているのでびっくりした註(5)