日本の大手出版社に対する「戦争責任」追及、その知られざる実態

大衆は神である(74)
魚住 昭 プロフィール

『主婦之友』の廃刊撤回劇

この時期、「悲境のどん底」(省一談)に陥ったのは講談社だけではなかった。文壇の大御所・菊池寛(きくち・かん)が経営する文藝春秋社や、石川武美(いしかわ・たけよし)が創業した主婦之友社も存亡の危機を迎えた。

省一の証言。

〈(GHQをバックにした左翼系出版社が)講談社ばかりでなく、出版界もみんなやってしまえと出版責任者追放という政策を打ち出してきたわけです。そういう状態のときに文藝春秋はいち早く菊池さんが嫌気がさして――僕はその当時、菊池さんにもお会いして、意見を闘わしたんですが――菊池さんはそんなようなもの(文藝春秋)はやめようというんでやめてしまった。それで芥川賞、直木賞を講談社で引き継いでくれないかという話もあったんです。結局、(幹部の)佐佐木茂索(ささき・もさく)君と池島信平(いけじま・しんぺい)君が残って、文芸春秋新社というのをつくったわけですが。

それから主婦之友も粛正(ママ)問題が出たら、いち早く石川さんが廃刊を声明してしまった。これは困った。(戦犯指名された)七社の一角が崩れてしまう。というわけで、思い止まってくれ、共同歩調でやらないと困るからと、われわれが説得した結果、思い止まったわけです。それ(『主婦之友』側の資料)で見ると司令部の意向で思いとどまったように書いてありますね〉

 

省一が言及した『主婦之友』の廃刊撤回劇は、戦後出版界の分岐点となった事件なので、赤澤史朗・立命館大学名誉教授の論考「出版界の戦争責任追及問題と情報課長ドン・ブラウン」に拠りながら、少し詳しく説明しておきたい。

まず知っていただきたいのは、戦争末期の『主婦之友』が行った「戦意昂揚」キャンペーンが他誌に比べて度を越していたということである。通常の頁の欄外に、

「米鬼一匹も生かすな!」(昭和20年3月号)
「一人十殺米鬼を屠れ!」(同4月号)
「本土を米鬼の墓場とせん!」(同5月号)

などと、米兵への報復を煽るスローガンを毎号記していた。そのため敗戦後の『主婦之友』は戦争責任を厳しく追及されることになった。

昭和21年1月18日、石川武美社長は本郷保雄(ほんごう・やすお)編集局長らとともに民間情報教育局(CIE)に出頭した。CIE新聞課長のバーコフは戦争中の『主婦之友』の態度を難詰し、石川と本郷が公職追放の対象になる可能性を指摘したらしい。

石川は、社の中心になってきた自分と編集局長が追放を免れないのなら、いっそ『主婦之友』を廃刊しようと決意し、「主婦之友を葬る言葉」を3月号の巻頭言に書き、発表するばかりとなった。

翌19日、本郷編集局長はCIEのリード中佐に廃刊の決意を伝えたが、『主婦之友』に好意的だった中佐は本郷に翻意を促した。

二日後の21日、CIEのダイク局長から呼び出しがあった。本郷が出向くと、ダイクの周囲には『主婦之友』に戦争責任ありと強硬に主張する係官たちの姿があった。
『主婦之友社八十年史』によると、約2時間の議論の末、本郷は石川社長の意思として「戦争中に祖国に協力したことが有罪だと言うなら『主婦之友』はいさぎよく廃刊するつもりだ」と告げた。

すると、ダイクは本郷に握手を求め「みんな戦争中の責任を回避しようとする中で、みずからその責任を認めようとする勇気こそ民主主義による再建に必要だ」と言って廃刊を翻意し、民主化政策に協力してくれるようにと求めたという。