まるで「元祖・義足プロジェクト」

したがって、この章で紹介する幼少期のエピソードは、『五体不満足』には書かれていない、つまりは私の記憶には残っていなかったものばかりになっている。映像に触発されて蘇る記憶もあった。「当時もいまも義足の練習方法はあまり変わらないじゃないか」と笑ってしまうこともあった。
 
補装具研究所で過ごした数年間は、まさに「元祖・乙武義足プロジェクト」と呼ぶべきものだったのである。

 
映像のなかの私は、畳に敷いた布団の上にパンツ一枚の姿で横たわっている。右にグルグル、左にグルグル。なんだかとても楽しそうに身体全体を回転させている。「もしかしたら寝たきりになってしまうかもしれない」と思っていた両親は、そんな姿にさぞかし安どしたことだろう。生後5ヵ月で寝返りが打てるようになるまでの私の成長曲線は、ごく一般的な赤ちゃんとほとんど変わらないものだった。
 
しかし、お座りができるようになるには、ずいぶん時間がかかった。座ろうとしても手足が短いうえに腹筋も弱いため、姿勢が安定せず、すぐに前に倒れてしまう。すると、母親がさっと腕を伸ばし、床に激突する直前で受け止める。そんなことの繰り返しだった。
 
1歳2ヵ月を迎えるころには、少しずつお座りができるようになり、ほどなくして「立つ」練習が始まった。だが、これも難関だった。手足がある子どもなら、まずはつかま立ちからとなるが、私にはその「つかまる手」がないし、床に仁王立ちするための「足の裏」もない。当時の腹筋と背筋の力では、足の先端、いわゆる「断端」だけで立つのはかなり難易度が高かった。

「断端」と言われても、ピンとこない方がほとんどだろう。断端とは、切断された先端部分のことだ。私は生まれつき両手両足が欠損した状態で生まれてきているので、正確に言えば「切断された部分」など存在しないのだが、とにかく私には両手の先端部分、両足の先端部分、あわせて四つの断端がある。
 
さらに言うと、左足が右足より3センチほど長く、左足の断端は右足の断端に比べて丸みを帯びている。反対に、右足の断端はななめに切れていると言えばいいのだろうか、内側から外側にかけて大きく削られたような形になっている。つまり、左右の差が3センチもあるうえに右足の断端がかなり尖っているため、断端部分を支えにして立ち上がるのがむずかしかったのだ。

マネジャーの北村氏が乙武氏の右足断端にシリコンライナーを装着する 撮影/森清