2017年10月から始まった「乙武義足プロジェクト」。その2019年4月より9月末まで毎週日曜日に公開した連載は、回を追うごとに「このプロジェクトはすごいと思う」「技術ってすごい!」「乙武さんとチームの人たちの頑張りに感動」と応援の声が増えていった。そして先日、連載を加筆の上、『四肢奮迅』というタイトルのノンフィクション作品になった。

刊行を記念して、26回の連載の中でも、読者の方から多くの支持を得た3つの記事を、加筆した単行本バージョンにて再編成してお届けする。

第3位の今回は、2019年10月までに190万8208PVを記録した2回目の連載。『五体不満足』執筆時には乙武氏がその存在を知らなかった1本のビデオ映像から、改めてわかったことが綴られている。『四肢奮迅』は「五体不満足の前と後の話」ともいえる義足の物語となったのも、このビデオによるところが大きいのだ。そんな「五体不満足前」の乙武さんの姿をお送りする。

42年前の「重要会議」

私が1歳半になろうとしていた1977年秋。東京都補装具研究所では、私へのサポートに関わる重要な会議が開かれていた。長机がロの字形に置かれ、黒板の前の席には研究所所長で、当時のリハビリテーション医学の第一人者だった加倉井周一先生が足を組んで座っている。紺のジャケットに赤いネクタイが映える。そのとなりには、白い丸襟のニットを着た母の姿。二人の左右には、医師や理学療法士、義足や義手を手がける技術者たちが向かいあうように着席していた。総勢8名。ピーンと張りつめた緊張感が漂っている。

 
机の上には幼児用の義足や義手が並べられ、出席者たちが補装具の使用や今後の訓練方法について語りあっていた。真剣にメモをとる人もいれば、腕を組んで考え込む人もいる。母は真剣な顔つきで議論に耳を傾け、ときどき頷く仕草を見せていた。

「小児切断プロジェクト」の全体会議だった。東京都補装具研究所は、開所以来はじめての四肢欠損児である私の研究を「小児切断プロジェクト」と名づけ、プロジェクトチームを立ち上げた。数々のオリジナルな補装具や自助具を作り、それにともなう訓練方法を指導してくれることになったのだ。
 
だが、生まれたばかりの私に無理やり義足や義手を使わせると、獲得できるはずの運動機能が身につかなくなってしまう可能性もある。だからこそ、定期的に私の身体の状態を確認しながら、各分野のプロフェッショナルたちが慎重に協議を重ねていく必要があったのだ。