もうひとつ、支えにしてきた言葉がある。クラウドファンディングに支援してくださった方々を対象とした義足練習見学会に向けて奮闘していた3月の同じころ、日米両国で数々の金字塔を打ち立ててきたイチロー選手がついに引退を表明した。その引退会見は多くの人々の記憶に残るすばらしいものだったが、なかでも私の心に響いたのは、次の言葉だった。
「少しずつの積み重ね、それでしか自分を超えていけないと思うんですよね。一気に高みに行こうとすると、いまの自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので。地道に進むしかない。進むというか、進むだけではないですね。後退もしながら、あるときは後退しかしない時期もあると思うので。でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく」
まるで自分に向けて発してくれているのではないかと錯覚するほど、この言葉は私の心に深く刺さった。苦しいとき、何度もこの言葉に立ち返り、幾度となくかみしめ、自分を奮い立たせた。
それでも、あまりに苦しく、不甲斐ない日々に、ふと疑問を抱くこともあった。
「オレ、40歳を過ぎて、何をやってるんだろう……」
正直に言えば、こんな過酷な思いをすることになるとは思っていなかった。ホテルのティールームで遠藤氏と落合氏から依頼を受けたあの日、私は「ちょっと協力する」程度のことだと思っていた。それが、いつのまにか自宅のリビングに平行棒が持ち込まれ、いつのまにか自宅マンションの階段を30フロアも駆け上がるトレーニングに汗を流し、いつのまにか体重を落とすために食事にまで気を遣うようになっていた。
「アスリートかよ!」
自分自身にそんなツッコミを入れたくなるようなストイックな生活に一変したのだが、いったい何のためにこんな過酷なチャレンジをしているのだろうと、自分自身、思わず吹き出しそうになってしまうことがないわけではない。
「歩くことをあきらめていた人々に希望を届けるため」
お引き受けした動機はその一点に尽きるが、現時点での率直な気持ちを表すなら、「自分のため」かもしれない。
とにかく、楽しいのだ。苦しくて、苦しくて、楽しいのだ。
メルボルンで快適な生活環境と出会いながらも、「取り組むべきこと」が見つけられないからと帰国を決断した私にとって、今回のような苦難はまさに望むところ。越えられそうもない壁に、40歳を過ぎて目の色を変えて取り組むことができるなんて、こんな幸せなことはない。
私たちのチャレンジは、いまだ夢の途中。どこでピリオドを打てばいいのかも、正直、よくわかっていない。ただひとつ言えるのは、不完全燃焼のまま、ここで終えるわけにはいかないということ。私たちのメンバー一人ひとりが「やりきった」と思えるその日まで、このプロジェクトをあたたかく見守っていただければ幸いだ。
2019年10月 乙武洋匡
お問合せ:TEL:03-3274-4870 E-mail: ybc-ev@yaesu-book.co.jp