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武蔵小杉が「高級タワマン街」になった時に「見逃されたリスク」

「想定外」だったこと

武蔵小杉が開発されたワケ

「なぜ、武蔵小杉はあんなに人気の街になったのですか?」

東京のとある大学のOBを中心に、関西の不動産業界関係者が集う親睦団体に呼ばれて講演を行ったことがあった。その際、複数の方からこんな質問があった。

関西の人にとっては、「武蔵小杉」という川崎市の新興の街にタワーマンションが林立し、朝のラッシュ時に改札が異様に込み合う情景が、今ひとつピンとこないのだろう。その時私は一瞬、そう想像した。

 

「まず、武蔵小杉というのは交通の便が抜群によいので…」と言いかけて、気付いた。

彼らの卒業した学校は東急東横線の沿線にキャンパスがあり、ほとんどの方が学生時代の2年間はそこに通っていたのだ。

「そうですね、みなさんは武蔵小杉がどこにあるかはよくご存じでしたね。大変失礼しました」

そう謝ってから、武蔵小杉がこの12年ほどのあいだにどう変わったかを説明した。

武蔵小杉のタワマン群〔PHOTO〕Gettyimages

昭和の時代、武蔵小杉は工場の街だった。富士通や日本電気(NEC)や東京機械製作所、不二サッシ等の工場があったことで知られる。東横線の「武蔵小杉」駅は、かつては「工業都市」駅という名称であった(いま武蔵小杉駅が立地している場所と工業都市駅の位置はややズレるが)。

平成の半ばまで、武蔵小杉というのは「工場の街」だった。工場勤務の労働者たちが仕事帰りに疲れを癒す酒場が多くあった。今もイトーヨーカドーの裏側あたりにその名残が見られる。